男性の攻撃性は進化の過程で強くなってきたか
人間はともかく、人間以外の動物を見ると、この説明はうなずける部分もあるかもしれません。ボスのようなオスは身体も大きく、攻撃性があり、その力でグループを支配している動物もいるのです。一方で、人間にそのまま当てはまるかどうかというのは疑問があります。
もう1つは、歴史的な性役割に関する説明です。この説明では、女性は家庭内での仕事を担い、男性は外で働くという、性別による固定的な役割分担に着目します。もちろん、このような役割分担は恣意的なものであり、歴史や社会の産物であるという点がポイントです。
性別による固定的な役割分担がある場合、外で働く男性では、何らかの目標を達成するような役割が期待され、家庭を担う女性では、他人を気遣ったり世話したりする役割が期待されます。少し前の日本のような状況です。といっても、今でも地域によっては似たような状況があるでしょう。
歴史的にも男性は社会で「目的達成」を課せられてきた
以上のような性別役割分業意識により、男性は、目標を達成する手段として攻撃的な行動が適切であることを学んでいくのではないかというのが、2つ目の説明です。攻撃性を持つことが、目標を達成するうえで必要になってくるということです。確かに、目標を邪魔する勢力に対抗するには攻撃性が必要な状況もあるでしょう。
さらに、男性の社会的地位が高いことが求められるような社会において、高い地位の獲得や維持には身体的、言語的、関係的な攻撃性が必要となるのかもしれません。結果として、男性の攻撃性が高くなるわけですが、社会がそのように方向づけているとも言えます。
進化的な説明では、男性の攻撃性の高さは生まれつきほぼ決まっていることを想定しており、「女性脳」「男性脳」を主張する人が好む説明です。一方、歴史的な説明は、社会や文化の役割を強調するものです。現在のところ、どちらが正しいというわけではなく、どちらもそれなりの説得力があるというところです。
子どもに目を向けると、たとえば遊びの性差が攻撃性の違いに影響を及ぼす可能性があります。それほど証拠が多いわけではないものの、女児は赤ちゃんのころから男児よりもヒトの顔を好む傾向があったり、人形を好んだりするなど社会的な傾向があるのに対して、男児身体的な遊びを好んだり、乗り物を好んだりするため、こうした好みや遊びの傾向が攻撃性の違いにつながるのではないかと考えられています。