「電柱にも頭を下げなさい」

舞妓時代に身に付けた高いコミュニケーション能力は、お客さんとの会話よりも、先輩の芸妓たちとのやりとりから学んだという。「生きていくために大切なことは舞妓時代に全て学んだ」と話すモエさんだが、その中でも特に厳しく教えられたのが、「電柱にも頭を下げなさい」と言われるほど徹底された挨拶だ。

舞妓をしていた19歳頃のモエさん
舞妓をしていた19歳頃のモエさん(写真提供=モエさん)

道端で先輩に会ったときは、足を止めてきちんと挨拶するのが基本。お座敷で一緒になった先輩やお茶屋さんには、翌日に必ず挨拶に行き、不在であれば一筆書いてポストに入れた。

稽古の時は、先輩のために扉を開け、のれんをおさえ、履きやすいように履きものをそろえ、荷物を持つ。徹底的な上下関係の中で、相手が何を求めているかを瞬時に判断する力が鍛えられた。自然と気配りができるようになると、先輩にも可愛がられ、「あの子は頑張っているからぜひ」と、先輩がお客さんにも勧めてくれるようになる。その結果、次第にお客さんも増えていく。

結婚で引退し「夫のために食事を作る」生活に

芸妓になって1年半ほどたった22歳の時、結婚をきっかけに祇園での仕事を辞めた。舞妓や芸妓は、結婚すると引退することが一般的だ。接客やお座敷で芸を披露する仕事が中心のため、家庭を持つと両立しにくいと考えられていたためだ。

毎年4月には、祇園の芸妓・舞妓が踊りを披露する伝統的な舞台「都をどり」にも出演した
毎年4月には、祇園の芸妓・舞妓が踊りを披露する伝統的な舞台「都をどり」にも出演した。写真は19歳頃(写真提供=モエさん)

6年間の祇園生活を終え、「やりきった」という充足感を抱いて新たなスタートを切ったモエさんだが、その新婚生活は、想像していたものとは大きく異なっていた。仕事で海外を飛び回る男性と結婚したモエさんの役目は「忙しい夫のために1日3食の和食を作ること」。

夫と一緒に日本と海外を行き来する生活をしながら、一時帰国すれば日本食の材料や調味料をどっさり買い込み、スーツケースにパンパンになるほど詰め込んで飛行機に乗る。こうやって海外で夫のために和食を作る毎日が続いた。

「外国で生活しているのに、自分はずっとキッチンにいる。『何のために結婚したんやろ』と考えるようになりました。それまで舞妓・芸妓として自分を表現する仕事をしてきたので、夫のために生きているような生活を続けるのがつらくなりました」

6年間、祇園という小さな世界で過ごしたモエさんにとって、外の世界は心をわくわくさせる新しい場所だった。「家の外に出て働きたい」と切望するようになったが、その情熱は「妻が働きに出ることは夫として恥ずかしいこと」と考える彼には理解されなかった。

話し合いを重ねたが、双方の結婚に対する考え方の溝が埋まることはなく、結局3年の結婚生活に終止符を打つことになった。