念願のポーラ化粧品のセールスレディになる

盲腸の手術をきっかけに生命保険のセールスの仕事をやめた後、私はついに念願かなってポーラ化粧品のセールスレディの仕事を始めることになりました。

そのきっかけが、偶然の出来事だったことは、本書で詳述した通りです。

町中で古くからの友人にばったり出くわし、その人の口から「うちの主人が最近、ポーラ化粧品の営業所を始めたのよ」という言葉が出たときの驚きは、今でも忘れられません。

「運命」という言葉を軽々しく使いたくはないのですが、このときばかりは「こういう運命だったんだ!」と強く思いました。

だって、私ほどポーラの化粧品を愛用している人は、そうそういないだろうと思うくらいでしたから。

日ごろから愛用している私は、近所の奥さんたちと世間話をしていて美容の話題になると、ついついその化粧品のよさについて熱弁をふるっていたんです。

するとみんな興味を持って、「私も買いたい」と言い始めるのは、すでにお話しした通りです。これはもう、ポーラ化粧品を売ることが、私の天職だと示していたようなものかもしれません。

生保の営業で知った3つの長所

先ほど、生命保険の仕事は、あまり好きではなかったと言いましたが、それでもやってよかったと思うことはいくつもあります。

1つは、契約数に応じて収入が増えたこと。お金に苦労してきたので、まずは夫に頼ることなく収入を得られることに感謝したのです。

2つ目は、セールスをするのなら、「本当に自分が好きなもの」「その商品について知りたい」「人にそのよさを伝えたい」という思い入れがある商材にしたほうがいいと気づけたことです。どうせ同じ時間と労力を費やすのなら、ワクワクしながら、喜びをもって売れるもののほうがいいということです。

そして3つ目が「私にはセールスという仕事が向いている」と思えたことです。

自分ではあまり好きとは思えなかった保険商品でも売ることができましたし、しかも営業成績もよかったことは大きな自信になりました。

もしも自分が好きなものをセールスする立場になれば、きっと保険以上に売り上げを立てられるのではないかと思ったのです。

後からわかる「人生には無駄がない」こと

好き好んで始めたわけではなく、むしろ友達に頼み込まれて断り切れずにやむなく足を踏み入れた生命保険のセールスでしたが、結果として私にとっては大きな気づきをもたらしてくれたわけです。

そのときはわからないけれども、後になってみたら「自分にとって得難えがたい経験だった」と思えるようなことは、案外たくさんあるのではないでしょうか。

食わず嫌いで通り過ぎてしまえばそれまでですが、実際にやってみたら思いがけない自分に出会うことができるかもしれませんね。保険営業の仕事は長く続けられるものではなかったけれど、これも天職=ポーラ化粧品のセールスの準備期間だったとも言えます。

人生には無駄がないんだなぁと思います。

両手で木漏れ日を受け止めて
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです
堀野 智子(ほりの・ともこ)
ビューティーアドバイザー

1923年4月9日、5人きょうだいの長女として福島県に生まれる。女学校を卒業後、1941年逓信省(電話局)に入局。1946年23歳で結婚して、その後子ども3人、孫5人に恵まれる。1962年39歳のときに「子育てしながら自由に自分らしく働ける」ことに魅力を感じてポーラの化粧品販売員として働き始める。「生きている限り、大好きな仕事を続けていきたい」と日々セールス。個人の売り上げは2024年4月時点で累計約1億2670万円。2023年8月から2024年4月の月間売り上げの平均は前年同期に比べて25%増加。月10万円以上という売り上げ目標の達成を20年間続けている。2023年8月「最高齢の女性ビューティーアドバイザー」としてギネス世界記録に認定。