「知識を共有する」ウィキペディアの精神

新型コロナウイルスのパンデミックは、人々に死への危機感を抱かせただけではなかった。これまで積み上げてきたものには本当に価値があったのか。それを分け合ってこそ価値が生まれるのではないかと、多くの人々が考えるきっかけにもなった。

たとえ明日、自分が消えても、積み上げてきたものをみんなで分かち合ってくれたら悔いは残らない。今、分け合わなければ、明日にはその機会が失われるかもしれない。分け合わないことこそが損失だ。オードリーは幼いころからそれを知っていた。

この「分け合っても損はない」という考え方は、中学でホームスクーリングを始めてからますます強くなっていった。ネットコミュニティで触れ合う人々は、毎日それぞれ何かしらの価値を提供し合い、「共好ゴンハオ」(ネイティブアメリカンの言葉で「共同で仕事をする」という意味を持つ「Gung Ho」を中国語に音訳したもの)の状態を作り上げていた。

知識や知恵の共有だけでなく、クリエイティブ・コモンズ(クリエイターが一定の条件下での作品の自由な使用を許可したことを示すライセンス)などのプロジェクトも、より多くの人が関与することで、より多くの価値を生み出すことができる。

インターネットには時間と空間の制限を受けないという利点がある。新しいアイデアが湧いたときにはタイムゾーンにかかわらず、自分の都合のいい時間にいつでもネットにつながり、ほかの人たちが残した記録を見ることができる。毎日、みんなで共に生み出した価値が少しずつ蓄積されていく。まさにそれが「ウィキペディア」(ブラウザから誰でも編集が可能なウェブサイトを作成するシステム)の精神だ。

ビジネスネットワークの概念
写真=iStock.com/metamorworks
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「技術を持ち独占する者」から「技術を開放し与える者」へ

現実の伝言板ではこうはいかない。伝言を残すには特定の場所へ行く必要があり、別の誰かの考えをコピー&ペーストすることもできない。

下書き状態の思考や、ごく一部しか進んでいない作業でも、自分では処理しきれない、あるいは自分が処理するには適さないと感じたとき、オードリーはその理由を書き添えてプラットフォームでみんなに公開し、適した人に処理してもらう。たとえ明日、自分がこの世から消えても、考えたことは無駄にはならない。自分のアイデアはすでにプラットフォームに公開され、その価値は広く拡散されているからだ。

未来の社会において、「共創」が最も重要な価値となる理由とは何だろうか? これにはオードリーが若いころにたずさわった仕事の経験と、10代と20代の二度にわたって経験した世界周遊の学びの旅「世界ツアー」が影響している。若き日の経験が未来の仕事観を形作ったのだ。

かつてのオードリーは「自分だけが特定の技術を持っている場合、それをどのように運用すべきか」と考えていた。「世界ツアー」を経験したことで、この考え方は一変する。自分の技術を特許で囲い込もうという考えを捨てたのだ。

初めてシリコンバレーを訪れたときには、誰もが互いに「どんな特許を申請したか」「特許の障壁は何か」を気にしていた。だが時が経つにつれ、「どうすれば互いの要求に応じられるか」にみんなの関心が移っていったのである。