愛を分散させるのはいけないことなのか
ここで、ひとつの疑問が生じます。
「愛情は、一人の人に集中しなければいけないものなのか?」
具体的には、「別の人と親密な関係をつくることは、配偶者や恋人に対する裏切りなのか」、つまりは「愛を分散させることは、いけないことなのか」という問いです。
冒頭のケースのAIと浮気をしている夫の立場から考えてみます。
別に、妻に迷惑をかけているわけではない。現実に、夫婦の日常生活に支障をきたしているわけではありません。多少の金銭負担はあってもお小遣いの範囲内でしょう。サイバーセックスなので不法行為をしているわけでもない。相手がAIなので、「奥さんと別れてほしい」と迫られることもない。
ですがこの男性は、妻との「普通の」性関係にきっと満足していないのでしょう。
でも、自分が考える(性的興奮や満足を得られる)理想的な性関係を妻に押しつけようとは思っていないし、多分、妻には求められない。そんなときに、自分が一番満足できる親密性を伴った性的興奮する相手、AI恋人を見つけた。それは、お金もあまりかからないし、法にも触れない、日常生活に支障が出ない。妻に何の迷惑をかけているわけでもない。これでいったい「何が悪いのか?」という思いかもしれません。
親密な欲求が拡大かつ多様化した現実
ここに、現代社会の「愛の変化」が見て取れます。
「愛している人(配偶者や恋人)同士で、性的満足を含むあらゆる親密な欲求を満足させなければならない」という昭和の時代に作られた考え方が、現実的ではない社会になってきているのです。
その背景には、「親密な欲求」が拡大かつ多様化し、一人の相手でそのすべてを満足させることが難しくなっている現実があります。一対一で関係性が“破綻”してしまうよりは、分散させてリスクを避ける。そのほうが持続性や効果が高いとも言え、タイムパフォーマンス(タイパ)やコストパフォーマンス(コスパ)の対価を、愛情関係にも求めた結果であるのかもしれません。
ですが、「配偶者(恋人)以外の人とは親密な関係になってはいけない」という規範はまだ根強く残っています。その“妥協点”として、AI恋人が選ばれたとも言えるのです。
さらに言えば、AI浮気は法に触れずとも、「夫婦の距離」を変える誘因になる可能性はおおいにあるでしょう。その選択は、安全なのか、危険なのか。愛の分散投資のリスクとリターンに正解はない。なぜならそれは、常に双方向に変化をきたす“投資”になるからです。
次回は、こうした愛の分散投資、すなわち“準”浮気から不倫関係における時代の意識変化について、一つひとつ見ていきましょう。
1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主著に『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社)、『結婚不要社会』『新型格差社会』『パラサイト難婚社会』(すべて朝日新書)など。