電動自転車の安全運転と車の安全運転は違う

45歳になるまでハンドルを握ったことのなかった私ですが、安全運転には自信がありました。普段、子ども乗せ電動自転車に乗っている時、慎重すぎるほどに気をつけているからです。

子乗せ電動自転車は非常に重くスピードも出る軽車両なので、加害側にもなり得ます。

さらに、我が子という絶対に守らなければいけない人間を乗せているので、あらゆる危険を想定し被害に遭わないように意識しています。特に、暴走車に突っ込まれるかもしれない、というのが恐ろしく、常に「おかしな動きの車はいないか」と周りに気をつけて走行しているのです。

そんなわけで常にキョロキョロ、目と頭と上半身を動かして目視確認し、スピードも出しすぎないようにしているので、その執念にも近い「安全運転」を教習所でも褒められるはずだと想像していました。

ところが車の運転というのは、「あらぬ方向から暴走車が飛んでくるかもしれない」と想定してキョロキョロしたりしてはいけないのです。せわしなくいろんな方向を目視する行動は「気をつけている」ことにならないのです。知らなかった……。

左折をするために発進する際、横断歩道に誰か来ないかと右の方を見ると「そっちは見なくていい!」と教官から叱られます。

左折ができる=車の信号が青になっている=歩行者の信号は赤、なので「渡る歩行者はいない」と判断してよいのです。気をつける必要はゼロではないけれども、それよりも左折先の横断歩道を渡る歩行者に気を付けて、巻き込まないよう確認をしろ、という教えです。

だけど私は「急にトリッキーな動きをして飛び出して走ってくる人がいるかもしれないじゃん!」という長年に渡り染みついた感覚をなかなか手放すことができませんでした。

しかし「侍になる」つまり「男性になりきるのだ」と意識していくことで、運転への認識がガラリと変わりました。

「侍になって」運転する

教習所を卒業し日常的に運転をするようになって思うのは、「みんな車の交通ルールをしっかり守ってるんだな」ということです。アスファルトの上に白い線が書いてあるだけなのに、しかもその線は車の幅ギリギリに書いてあるのに、みんなきっちりその中をはみ出さずに走り、青になったら絶対に動き出す。その様子はまさに、ドラマで見る「背筋がピンとした礼儀正しい侍」っぽいです。

一方、自転車は青信号でもスマホが気になっていたら立ち止まったままでもいいし、気が変わったらUターンとかもアリです(もちろん、ほかの車や歩行者の邪魔にならない&危険のない場所でないとダメですが)。自転車と歩行者の世界のほうが無法地帯だと感じるようになりました。