紫式部は道長よりも長生きし、第三部まで書き上げたか

【澤田】そうすると、第二部以降の執筆時期はだいぶ後ろに下がるとお考えですか。

土佐光起筆 紫式部図(一部)(画像=石山寺蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
土佐光起筆 紫式部図(一部)(画像=石山寺蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

【倉本】そうですね。長和3年(1014)に紫式部が亡くなったという説はまったく成り立たず、道長の死後も生きていたと私は思っています。だから、紫式部はかなり後になって『源氏物語』を書きあげたのではないかという気がしています。最初は道長の影響を受けて書き始めた『源氏物語』ですが、やがて紫式部自身の成長や、式部が仕える彰子の政治的な成長を受けて物語の構想が広がり、第二部以降の苦難の物語を描くにいたった。まだ今朝、思いついたばかりのビジョンですので、煮詰まってはいないのですが。

『NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック 光る君へ〈紫式部とその時代〉』(NHK出版)
『NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック 光る君へ〈紫式部とその時代〉』(NHK出版)

【澤田】『源氏物語』の構成とリンクさせる考え方は、非常に興味深いですね。

【倉本】私は歴史学の研究者ですので、こうした考えを根拠もなく書くというわけにはいきませんが、フィクションの構想として使うなら、実に魅力的な紫式部像が描けるような気がしています。

【澤田】藤原道長の研究は以前から盛んでしたが、最近、歴史学の世界でも、彰子の研究や、彰子がその後の藤原氏に与えた影響などについて研究が進んできていますよね。そういう切り口から紫式部を描くというのも、面白いかもしれません。

【倉本】いっそのこと、彰子を主人公にする大河ドラマも「あり」ではないでしようか(笑)。

倉本 一宏(くらもと・かずひろ)
歴史学者

1958年生まれ。東京大学大学院博士課程単位修得退学。博士 (文学、東京大学)。現在は国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代史、古記録学。主な著書に『一条天皇』(吉川弘文館)、『藤原氏』(中公新書)。『藤原道長の日常生活』『紫式部と藤原道長』(ともに講談社現代新書)、『平安貴族とは何か』(NHK出版)などがある。

澤田 瞳子(さわだ・とうこ)
作家

1977年生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程前期修了。奈良仏教や正倉院文書を研究。2010年に『孤鷹の天』(徳間書店)で小説家デビュー。2021年『星落ちて、なお』(文藝春秋)で第165回直木三十五賞を受賞。同志社大学客員教授も務める。主な著書に『若沖』(文藝春秋)、『火定』(PHP研究所)、『月ぞ流るる』(文藝春秋)など、2024年11月29日に新刊『孤城 春たり』(徳間書店)を刊行。