皇族自体を研究対象にした彬子女王
西園寺の考え方は、「禁秘抄」とはまったく対照的である。しかしそれが、近代になってからの天皇の学問のあり方についての代表的な見方であり、それは今日にまで踏襲されているのかもしれない。
現在の天皇が瀬戸内海の海上交通についての研究を続けていたとしたら、歴史学者の網野善彦が問題にした海の民と天皇制との関係にまで関心が広がっていたかもしれない。天皇自らが天皇制について研究するということは、センシティブな問題を生むことになる。
彬子女王は、現在の天皇と同様に学習院大学の史学科で学んでいたが、学問的な関心の移り変わりはまるで反対である。彬子女王は最初、古代ケルト史に関心をもっていた。ところが、最初に1年間オックスフォードに短期留学した際、日本美術史を専門とするようになる。海外における日本美術のコレクションが、いかなる観点からなされたかの研究である。
美術史の研究であれば、まだ国家の太平には遠い。だが、彬子女王の研究のなかには、「女性皇族の衣装の変移について 明治の洋装化がもたらしたもの」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』24、2019年)なども含まれる。皇族自体が研究の対象になっているのだ。
「バズり」がベストセラーのきっかけに
しかも、イギリスから帰国後は、立命館大学に就職し、それ以降、京都を拠点に活動を展開している。2012年には、子どもたちに日本文化を伝える「心游舎」という組織を仲間と立ち上げ、翌年一般社団法人になってからは総裁に就任している。その本部は、「二所宗廟」と呼ばれ、伊勢神宮とともに重視された石清水八幡宮にある。
石清水八幡宮が、二所宗廟とされたのは、そこで祀られる八幡神が応神天皇と習合したからである。それに、現在の神社本庁の総長は、石清水八幡宮の宮司でもある。
彬子女王の『赤と青のガウン』が文庫化され、ベストセラーになったきっかけは、X(旧ツィッター)での「プリンセスの日常が面白すぎる」という一般の人からの投稿だった。
本人は、そのことについて、テレビのインタビューで「バズる」という表現を使っていた。もしそうした言い方を、たとえば雅子妃や愛子内親王がしたとしたら、そのこと自体大きなニュースになるのは間違いない。
そうした発言が当たり前のようにできるのは、女王という立場にあるからだろう。留学前、同じオックスフォードに留学経験を持つ現在の天皇夫妻に面会するとき緊張したと述べているところに、女王という立場の微妙さが示されている。