秋篠宮文仁親王の言動がバッシングを受けやすいのはなぜか。宗教学者の島田裕巳さんは「その立場があまりに曖昧で、国民も彼に何を期待したらいいのかよく分からないから」という――。

秋篠宮文仁親王は哀しい

もしも自分が天皇家に生まれながら、皇位を継ぐ可能性がない男子だとしたら、いったいどう生きるのか。そう考えたとき、秋篠宮という存在はひどく哀しいものに思えてくるはずだ。

秋篠宮文仁親王は、現在「皇嗣」と位置づけられている。皇嗣とは、皇位継承順位第1位の皇族をさす。

58歳の誕生日を前に記者会見される秋篠宮さま=2023年11月27日、東京・赤坂御用地の赤坂東邸(代表撮影)
写真提供=共同通信社
58歳の誕生日を前に記者会見される秋篠宮さま=2023年11月27日、東京・赤坂御用地の赤坂東邸(代表撮影)

皇室典範では、「皇嗣たる皇子を皇太子という」とされているものの、秋篠宮は現在の天皇の弟であって子どもではないために、皇太子にはなっていない。しかも、皇室典範では、皇太弟の規定がないため、しかたなく皇嗣と呼ばれている。いかにもその立場は中途半端なものである。

さらにその特殊な立場は、その子息である悠仁親王が皇位継承順位第2位と位置づけられ、愛子内親王の天皇即位がなければ、実質的に次の天皇と見なされていることにある。自分が天皇になる可能性は乏しいのだが、息子は天皇にしなければならないのだ。

将来天皇になる親王には「帝王学」が授けられるとされているが、秋篠宮にはその機会はめぐってこなかった。兄である現在の天皇から、それを授かることもないであろう。

ところが、息子にはそれを授けなければならないのだ。というか、授けようがないはずだ。

「自分は何のために生まれてきたのか」

明治以降の皇室では、天皇の役割として宮中祭祀を司るということが重要視されてきた。

大祭においては、天皇が直接神主役となって祭祀を行うのだ。秋篠宮は宮中祭祀に参列しても、自ら祭祀を司る役割がまわってくることもない。

天皇であれば、日本の象徴、日本国民統合の象徴として、国内外において果たすべき重要な役割がある。

とくに皇室外交では、その主役として、諸外国の元首などと対等の立場でまじわることができる。そうした機会も、秋篠宮にはほとんどまわってこない。

「自分は何のために生まれてきたのか」

私が秋篠宮であったとしたら、幼い頃からそう問い掛けてきたことだろう。立場はあまりに曖昧で、どうふるまったらいいか、それを見いだすことが難しいのだ。