美佐江は「魔性の女」ではなく、寅子が救えなかった子

でも、女の子になったことで、そのままの設定ではリアリティが薄くならないか、同じ展開で良いのかと考えたんですね。初期の設定のときは、服役しているとか、更生に向かうものの、寅子に心を開かずにそのまま死んでしまうなど、救われないバッドエンドにしようと考えていました。そんなふうに間違ったり救えなかったりすることはあるけれど、それでも厳罰化するのではなく、少年たちに手を差し伸べ更生の機会を与えることに意味があるという話にするつもりだったんです。

それが美佐江というキャラクターになったわけですが、いわゆる「魔性の女」みたいなものを描きたいわけではありませんでした。ただの少女なのに、それを世の中の人が勝手に美化して勝手に祭り上げ、何かを期待したり、何かを信仰したり、勝手に洗脳されたりする。例えばジャンヌ・ダルクが、王様が喜ぶようなこと――「こんな啓示の夢を見たよ」と言うところから始まり、それを聞いた大人たちが「その言葉を待っていた」とどんどん祭り上げ、結果、彼女が火炙りにされるような構図にしなければいけないなと思ったんですよ。寅子が理解できない子、救えなかった子と、のちに何らかの形で対峙たいじすることになるという構成は、最初から変えませんでした。

連続テレビ小説「虎に翼」第21週より、寅子と美佐江(片岡凜)
写真提供=NHK
連続テレビ小説「虎に翼」第21週より、寅子と美佐江(片岡凜)

たとえ一見救えない子でも、投げ出さない社会であってほしい

ただ、性別が変わったことにより、できれば完全なバッドではない、少しでもハッピーに近づくエンドへと、構成を大きく変えました。

ありがたいことに片岡りんさんが美佐江を演じてくださったことで、魅力が増しました。美佐江はどうしても悪女として扱われてしまうけれど、現実でもほんの一部には理解しきれない人というのはいると思うんですね。それは子どもでも同じ。

それでも理解できないなら理解できないなりに手を差し伸べて、寄り添うこと、ここは安全な場所で、自分は味方だと言ってくれる人がいることを大人は見せるしかないんじゃないか。罪を犯してしまったら、ある種の償いというか、落とし前をつけなければいけない。それでも、本当に理解できない人はいても、新潟赴任時代の寅子がそうだったように、美佐江のように救えない人を投げ出してしまうのはダメだと思うんですね。