不義を防ぐ体制がなかった事実

もちろん、そうしたことが実際に起こったという証拠を見いだすことはできない。

だが、不義を防ぐ体制がまったく作り上げられていなかったことも事実である。そして、『伊勢物語』や『源氏物語』は、その可能性を示唆している。

天皇の側にとっても、たとえ実子ではなかったとしても、皇位を継承する皇子が生まれることは好ましい。その点で、天皇の側の利害と摂関家の利害とは一致する。

もし、後宮が完全に閉ざされ、男子禁制が徹底して守られたとしたら、不義は起こり得ない。だが、そうなると、皇位の継承に支障が起こるかもしれないのだ。

日本の皇室の印章
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その点で、極めて開放的だった日本の後宮は、巧みなものだった。

『源氏物語』の冷泉帝が、出生の秘密を明かされても、大きな動揺を示さなかったのも、それが関係するのではないか。そもそも、不義の子としての天皇を描く『源氏物語』が、朝廷と貴族社会で好んで読まれたのは、不義の子が皇位を継承することを許容する空気が存在したからではないだろうか。

明治以降の皇位継承の背後にあるもの

江戸時代に大奥が生まれたのは、徳川幕府が儒学を公式な学問として採用し、儒教倫理が広まったからである。平安時代には、すでに儒教は取り入れられていはたものの、その倫理に当時の人たちはまだ縛られていなかった。

皇位は、男系男子によってのみ継承されるという考え方は、明治になって打ち出されたものである。その背景には、儒教にもとづく「男尊女卑」の考え方があった。

天皇は男系男子でなければならないというこだわりを持つ保守派の面々は、『源氏物語』を読み、「光る君へ」を見てみたらどうだろうか。

開放的な後宮で、皇子は皆、天皇の血を受け継いできたのだろうか。そんなことが可能なら、他の国の後宮において多数の宦官を入れる必要などなかったはずである。

島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。