棚にぎっしり並んだグッズはゴミと化した

グッズの葬式(2019.10.01)

「グループチャット事件」が報道されてから6カ月が過ぎた。本棚の一角にぎっしりと並ぶグッズの数々をゴミだと見なしながらも、簡単には捨てられなかった。なぜだろう。

わたしたちが集めたのは、ただの雑誌、アルバム、サイン、カレンダー、ステッカーではなかった。こうしたグッズを処分するのは、単に「これ以上役に立たないものを捨てる」という行為以上の意味をもつ。集めたときの心、時間、必死で一生懸命だったたくさんの思い出がつまった人生の一部分をまるごと葬ってしまうようなものだ。もはや見せびらかすわけにもいかず、もう取り出すこともたぶんないだろうけど、それでも捨てられなかった。捨てたとしても、あの時代の記憶が消えるわけでもない。でも、処分するのは本当に難しかった。グッズを一つひとつ眺めていると、再びあの頃に戻ったような気がする。そして同時に罪悪感を抱く。妙な感情だ。誰かを熱く推した時期を思い出すだけで、なぜ罪悪感を覚えなければならないのか。

愛した人を恨まなければならないわたしたちが、あの頃を懐かしむことさえも慎重にならざるをえないわたしたちが、本当に不憫だ。痛ましい。

14歳からすべての「はじめて」を彩った人

あのときの心は変わらない(2020.04.18)

わたしのすべての「はじめて」はあなただった。コンサートに行くために必死に勉強した。毎日4時間もファンカフェ(ファン同士が情報を交換したり、推しと交流したりできる掲示板)を眺めているわたしは、勉強に集中できなかった。それでもやってのけた。あなたに会いたかったから。あなたがとても恋しかったから、頑張って勉強した。

14歳のセヨンは、ファンミーティングに行くためにはじめてKTX(ソウルと韓国主要都市を結ぶ高速鉄道)に乗った。そして20歳のセヨンは、ソウルにある大学に通い、ソウルでいろいろな経験をして、しばしばKTXでソウルと釡山を行き来している。「はじめて」を忘れることができるだろうか。できないと思う。何十回、何百回も列車でソウルと釡山を往復しても、車窓の景色を見つめるたびにあの頃を思い出す。あのときのときめき、あのときの緊張感。年月が経っても忘れない。車窓から見える風景の何が変わり、何かそのままなのかはあいまいだけど、あのときの気持ちは覚えてる。オッパが刑務所に入っても、わたしの記憶のなかのあのときの心は変わらない。

「セヨンが聴いたり歌ったりするのは、オジサンみたいな曲ばかり」と周りの人に言われる。全部あなたを通じて知った曲だ。あなたがオーディション番組とラジオで歌ってくれたカバー曲。それが、わたしが聴いて歌う曲のすべてだった。わたしはあなたが大好きだったから、あなたのマネをしたくなったのだと思う。だらしなく伸びたTシャツに古ぼけたビーチサンダルを履いて歩くあなたが好きで、腕にタトゥーをしたあなたが好きで、昔の歌を愛するあなたが好きだった。

だからわたしは、あなたが大好きだったわたしは、あなたになりたかった。わたしのパスワードは、全部0221だ。あなたの誕生日。8年ぐらい前からずっと。もはやそれ以上何の意味ももたないが、その数字は永遠にわたしとともにあるような気がする。毎日0221という数字を押してスマートフォンのロックを解除するとき、パスワードを変えなきゃ、変えてしまおうと思う。でも、思うようにいかない。なかなかできない。

わたしはあなたがとても憎い。憎い。どうか、過ちの分だけ罰を受けてほしい。