世界的なK-POP人気の背景には、そのほころびのように芸能人の犯罪や不祥事が存在する。22歳の映画監督オ・セヨン氏が、10代の青春をかけて推した元・K-POPスターも、ある日性犯罪者となった。「『頑張って勉強して、親孝行して。俺は歌う』とサインしてくれたアーティストが、今は無職。わたしはそんな姿になった元推しを、この目でしっかり見たい」。自分自身に問いかけるように、映画をつくりながら考え続けたこととは――。

※本稿は、オ・セヨン著、桑畑優香訳『成功したオタク日記』(すばる舎)の一部を再編集したものです。

“推し”が報道カメラに囲まれた日

ある日、オッパが犯罪者になった(2019.07.16)

16歳のとき以来、はじめて「あの人」に会いに行く。あごを上げた角度で写真を撮られるのが好きだったオッパ(韓国の女性が親しい年上の男性を呼ぶ言葉。ファンが俳優やアイドルに対して使用することも多い)は、もはやカメラの前で顔を上げることができなくなった。あの人を撮影していたたくさんの音楽番組やバラエティ番組のカメラ、大砲(大きなレンズが付いたカメラを意味するスラング)、チッドク(推しを撮影するオタクの略語。撮りオタのこと)と呼ばれるファンのカメラではなく、報道用のカメラだけがあの人をとらえている。

警察に出頭した歌手のチョン・ジュニョン
写真=Yonhapnews/ニューズコム/共同通信イメージズ
捜査のため、警察に出頭した歌手のチョン・ジュニョン(2019年3月14日)

カメラの前で誰よりも堂々としていたかつての姿は消え、あの人はこうべを垂れて何度も「申し訳ない」と繰り返すばかりだった。ストレートな発言が魅力でたくさんの人から愛されたのに、記者たちが次々と浴びせる質問にはっきりと答えることもできない。

わたしが愛したあの人は、ここにはいない。いや、どこにもいない。わたしにとってのアイドルだった、青春時代の価値観にもっとも大きな影響を与えた「自由な魂」は、頭をもたげることも、両手を自由に動かすこともできない。「頑張って勉強して、親孝行して。俺は歌う」というメッセージを添えてアルバムにサインしてくれたアーティストは、今は無職。わたしはそんな姿になったあの人を、元推しを、この目でしっかり見たいという思いひとつで裁判所へ向かった。

裁判所の外の様子だけを撮影して、おとなしく帰るつもりだった。ところが、裁判所の西館のほうで傍聴券を配っているという看板を見つけてしまった。ファンサイン会でも公開放送でもないのに、傍聴券だなんて。わたしが裁判所に着いたのは、午前11時頃。ずっと歩き回ったりタバコを吸ったりしていた。食堂のスタッフたちに今日は誰が来るのか聞かれたので、チョン・ジュニョンが来ると答えたら、「あー、ジュニョンね」と言った。

ファンの力で芸能界をかけ上ったスターの性犯罪

あの人のファンのほとんどが女性だった。大げさかもしれないが、彼がそれなりの地位に上りつめることができたのは、女性ファンの熱い推し活の成果といえるだろう。それだけではない。さまざまな音楽番組や授賞式での順位や賞を決める要素として、アプリやサイトでのファンによる投票が大きなウェイトを占めることからもわかるように、エンターテイナーにとってファンダムは、決して無視できないものだ。

ところがあの人たちは、女性に対するヘイトクライムを犯した。さらにまるで何かの系譜を継ぐかのように、「グループチャット事件」の裁判が始まる前に、性暴力事件や地下鉄盗撮事件が次々と起きた。裁判所やメディアは被害者の数を挙げて語るけど、数字の問題ではない。あの人は、事件のせいで日常生活に大きな支障を来すほど無限の愛を注いでいたファンにも謝罪すべきだ。あの人は、一度もファンに「申し訳ない」と言ったことがない。もし謝罪の言葉を聞いたとしても、残念ながら今となっては「申し訳ないフリをしてくる」(2016年、チョン・ジュニョンがグループチャットに書いた内容の一部)という1文を思い出してしまうだろう。

信じる気持ちも思い出も塵となった

2度のリアルタイム検索ワード1位(2019.09.20)

あの人の名前がポータルサイトのリアルタイム検索ワード1位になったのを見て、心臓がドキッとした。あのときの気持ちはよく覚えている。人生で2回、2016年と2019年のことだ。

3年前のあの日(2016年9月)、わたしはあの人が罪を犯したと信じられず、目の前のことに集中できなくなって自習室を飛び出した。ムカついた。オッパはそんな人じゃないのに、まだ何も言っていないのに、どうしてみんなあの人を罵るのか。まだ立場を明らかにしていないのに、どうして犯罪者扱いされなければならないのか。悔しかった。ずっと見つめてきたわたしたちのオッパは、そんな人ではなかったから。

わたしを心配する友だちはたくさんいたが、共感してくれる人はいなかった。コンサートやサイン会の現場でたびたび一緒になって顔を覚えたウンビンが近くにいると知り、やっと心を打ち明けられる、この悲しみに共感してくれる人がいるんだ、と安心した。だからといって、わたしたちに何かできるわけではなかった。公式の立場が発表されるのを、じりじりしながら待つばかり。ただ、長く感じる時間を耐えながら、同じ理由でとてつもない苦痛を感じている人はわたしだけではないという事実だけが慰めだった。

街の階段に座って落ち込んだ十代の少女
写真=iStock.com/martin-dm
※写真はイメージです

幸い、その日はハッピーエンドだった。記者会見が行われてチョン・ジュニョンは自ら嫌疑なしであると語り、それにもかかわらず頭を下げて謝った。1日中動揺していた気持ちが報われる思いだった。あの人は出演中だったバラエティ番組を降板し、はるか遠いフランスに旅に出たけれど、わたしは平気だった。また戻ってくると知っていたから。あの人は変わらず、わたしが知っているチョン・ジュニョンのままだった。

でも、2019年は状況が違った。あの人が公の場で語らなくても、いや、言葉なんて必要ないほど明らかな証拠とともに、過ちが世に暴露された。ずっとわたしの偶像だったあの人が友人たちと交わしたグループチャットは、口にするのさえ恥ずかしい内容だった。女性を蔑み、侮辱する行為に怒りがこみあげ、あの人との楽しかった思い出すべてが一瞬にして塵と化した。黒歴史となったわたしの熱い思い出が、すごく哀れだった。

棚にぎっしり並んだグッズはゴミと化した

グッズの葬式(2019.10.01)

「グループチャット事件」が報道されてから6カ月が過ぎた。本棚の一角にぎっしりと並ぶグッズの数々をゴミだと見なしながらも、簡単には捨てられなかった。なぜだろう。

わたしたちが集めたのは、ただの雑誌、アルバム、サイン、カレンダー、ステッカーではなかった。こうしたグッズを処分するのは、単に「これ以上役に立たないものを捨てる」という行為以上の意味をもつ。集めたときの心、時間、必死で一生懸命だったたくさんの思い出がつまった人生の一部分をまるごと葬ってしまうようなものだ。もはや見せびらかすわけにもいかず、もう取り出すこともたぶんないだろうけど、それでも捨てられなかった。捨てたとしても、あの時代の記憶が消えるわけでもない。でも、処分するのは本当に難しかった。グッズを一つひとつ眺めていると、再びあの頃に戻ったような気がする。そして同時に罪悪感を抱く。妙な感情だ。誰かを熱く推した時期を思い出すだけで、なぜ罪悪感を覚えなければならないのか。

愛した人を恨まなければならないわたしたちが、あの頃を懐かしむことさえも慎重にならざるをえないわたしたちが、本当に不憫だ。痛ましい。

14歳からすべての「はじめて」を彩った人

あのときの心は変わらない(2020.04.18)

わたしのすべての「はじめて」はあなただった。コンサートに行くために必死に勉強した。毎日4時間もファンカフェ(ファン同士が情報を交換したり、推しと交流したりできる掲示板)を眺めているわたしは、勉強に集中できなかった。それでもやってのけた。あなたに会いたかったから。あなたがとても恋しかったから、頑張って勉強した。

14歳のセヨンは、ファンミーティングに行くためにはじめてKTX(ソウルと韓国主要都市を結ぶ高速鉄道)に乗った。そして20歳のセヨンは、ソウルにある大学に通い、ソウルでいろいろな経験をして、しばしばKTXでソウルと釡山を行き来している。「はじめて」を忘れることができるだろうか。できないと思う。何十回、何百回も列車でソウルと釡山を往復しても、車窓の景色を見つめるたびにあの頃を思い出す。あのときのときめき、あのときの緊張感。年月が経っても忘れない。車窓から見える風景の何が変わり、何かそのままなのかはあいまいだけど、あのときの気持ちは覚えてる。オッパが刑務所に入っても、わたしの記憶のなかのあのときの心は変わらない。

「セヨンが聴いたり歌ったりするのは、オジサンみたいな曲ばかり」と周りの人に言われる。全部あなたを通じて知った曲だ。あなたがオーディション番組とラジオで歌ってくれたカバー曲。それが、わたしが聴いて歌う曲のすべてだった。わたしはあなたが大好きだったから、あなたのマネをしたくなったのだと思う。だらしなく伸びたTシャツに古ぼけたビーチサンダルを履いて歩くあなたが好きで、腕にタトゥーをしたあなたが好きで、昔の歌を愛するあなたが好きだった。

だからわたしは、あなたが大好きだったわたしは、あなたになりたかった。わたしのパスワードは、全部0221だ。あなたの誕生日。8年ぐらい前からずっと。もはやそれ以上何の意味ももたないが、その数字は永遠にわたしとともにあるような気がする。毎日0221という数字を押してスマートフォンのロックを解除するとき、パスワードを変えなきゃ、変えてしまおうと思う。でも、思うようにいかない。なかなかできない。

わたしはあなたがとても憎い。憎い。どうか、過ちの分だけ罰を受けてほしい。

入り組んだ感情は映画に詰め込んだ

重心をとらえる(2020.09.17)

映画『成功したオタク』をつくりはじめたときは、ただ怒りでいっぱいだったが、いろいろな人に会い、時が過ぎるにつれて、もっと深く複雑な感情がどんどん湧いてくる。最初の頃は、ただ面白がって、ムカついて、一緒に悪態をつきながら慰め合っていた。

ところがしばらくすると、だんだんあの人のことを思い出し、心を痛め、喪失感にさいなまれ、同時に罪悪感も抱くようになった。この入り組んだ感情を映画で見せなければならない。誰かを愛した人の心の境地は、「くたばれ」ではないはずだ、絶対に。でも、この映画が2次加害(性被害などを訴えた人をさらに傷つけるような言動のこと)にならないようにするためには、あの人に対する同情ではなく、好きだった人たちの心を描かなければならないと思う。これは、慎重に心がけるべき点だ。

わたしはあの人をもう愛していないし、拘置所に収容されている今の状況を哀れだとも感じない。ただ、死んでほしいとは思わない。だから、すごく複雑であいまいな気持ちだ。わたしの変化といろいろな人たちに出会う過程が自然につながる構成もいいけれど、一緒に前へ進んでいくというのもいいかもしれない。なぜなら、わたしは人々に会って話に耳を傾けることで自分の内なる声を聞き、自身を知ることができたから。

『成功したオタク』は、「登場人物に共感してほしい」とアピールするための作品ではないという点を肝に銘じなければならない。I先生がおっしゃったように、推し活やオタクの微妙な心をとらえて見せるのが重要なのだ。多くの人の偏見のなかのオタクやパスニ(アイドルに熱狂する若い女性を蔑んで呼ぶ言葉)ではなく、わたしが目にしたままの姿や、不思議な心を。

愛というにはあいまいで、応援というには執着に近く、信心というには宗教ともまた異なる何か。奇妙で奇怪な心。「奇妙」と書いたけど、批判したいわけではない。奇妙な心の実体を映し出す。なぜそんなことをするのか、聞いてみる。どうしてそこまでやるのか、と。これは、もしかすると自分に対する問いかけかもしれない。わたしはなぜそうしたのか。なぜそこまでやったのか。

推し活をつづけることができますか? という質問。もしかすると、その質問と対になるように「推し活をやめることができますか?」と聞くのもいいかもしれない。

オ・セヨン著、桑畑優香訳『成功したオタク日記』(すばる舎)
オ・セヨン著、桑畑優香訳『成功したオタク日記』(すばる舎)
0221(2021.02.21)

おめでとうとは言えないけれど、一生忘れない。忘れることなんてできない。あなたに関するすべての数字と慣れ親しんだ日付がずっと心から離れないだろう。懐かしいけど、恋しくはない。わたしが恋しいのはあなたじゃないから。わたしが恋しいのは、二度と体験できないあのときの気持ちだから。

お誕生日おめでとう。このありふれたひと言を贈れない相手が、他でもないあなたであることが、いまいましい。

死なないで、死なないで生きて、すべて返して。