話者が男か女かは関係ない

性別や年齢に関係なく、誰かが誰かに意見したり、知識を披露するのはコミュニケーションとして当然のことであろう。ある程度の説明、ウンチクの披露、情報の提供に全て目くじらを立ててマンスプレイニングだと非難していたらコミュニケーションはなりたたなくなってしまうだろう。

そのようなウンチクが行き過ぎて鼻につくようになるのは問題だが、それはその人個人の態度の問題である。あるいは程度の問題である。

それが「男性であるがゆえの問題」と主語が大きくなるのは、個別の事象の過度の一般化と言えるかもしれない。

女性だってウンチクが鼻につく可能性はすでに前述のとおりである。「ウンチクが鼻につく」といえばいいのであり、話者が男か女かは関係ない。それをわざわざ「マン」の問題に拡大するのは、まさに一種の差別主義だと言えないだろうか。ここにもパワハラの根がある。

互いに罪を擦り付け合う3Dの人形図形
写真=iStock.com/MR1805
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岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授

1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。