皇族が学ぶ場としてふさわしいか

親は、子どもの学校選びにおいて、自分と同じ学校や、性格の似た学校を選択しようとしがちである。秋篠宮家の場合、両親はともに学習院大学の卒業であり、それでも、子どもを学習院に行かせなかったのは、よほどの事情があるものと推測される。

その事情のなかには、学習院が、昔のように皇族が学ぶ場として必ずしもふさわしくなくなっていることが含まれるであろう。学習院の側としても、私立大学として生き抜いていかなければならない状況にあり、皇族のことばかりを考えているわけにもいかない。

戦後の日本社会では、天皇という存在が残り、しかも憲法では、日本の象徴、日本国統合の象徴と位置づけられた。

ところが、天皇や皇族の存在を支える上で重要な役割を果たすものについては、それをほとんど残さなかった。

華族が廃止されたことは大きい。そして、学習院が宮内省立でなくなったことも相当に大きな影響を与えている。秋篠宮家における進学先の選択も、それとは無関係ではないはずだ。

日本社会の保守派は、男性天皇、男系天皇にばかりこだわり、天皇制を存続させる社会制度については、何ら提言をしてこなかったし、言及さえしてこなかった。それは、ひどく怠慢なことなのではないだろうか。

私個人としては、悠仁親王が将来天皇になる可能性が高いという理由だけで、推薦で東大に入学してもよいのではと思っている。そこには、知性を養える環境が整えられており、しかも教育はかなり厳しい。中退率は0.5%だが、全体の4分の1が留年を経験している。日本の象徴として世界で認められるには、知性の高さは有力な武器になるはずである。東大で学ぶことが、かつて学習院が果たしていた役割を代替してくれるのではないだろうか。

島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。