大学を休学して世界一周旅行
銀行とIT業界。今でこそ両者には垣根などない時代だが、当時は水と油の関係と思われたのだろう。山田はなぜ異質な世界に飛び込んだのか、今の山田に古巣である銀行やバンカーはどのような存在に映るのか。
まずは興銀入行の経緯から辿ることにする。本人の軽妙なしゃべり方によるところが大きいがなかなか劇的だ。
大阪で生まれ育った山田は大阪外国語大学に入学、ペルシャ語を専攻した。
「体育会に入ったんですけど、それが終わってどうしようかとなりました。あんまり勉強していなかったし、周りは留学している人も多かったから、休学して世界一周をしてみようかなと」
旅に出たのは一九九一年だった。前年の八月にイラク大統領(当時)のサダム・フセインがクウェートへ侵攻、これに対して米国大統領(当時)のジョージ・H・W・ブッシュが多国籍軍を編成、空爆を開始したのは一九九一年一月十七日である。地上戦の開始は二月二十四日。和平条件を規定した国連安保理決議をイラクが受諾したのは四月六日。戦争は山田の旅行中に始まり、旅行中に終わったという。
「ペルシャ語を習っとったからイランへ寄ったんです。そしたらクウェートのお金持ちがたくさんホテルを占拠していた。『何があったんですか』って聞いたら『戦争や』と。それで初めて知った。それからしばらくしてアメリカへ渡ったら、米軍がなんとかいう地上作戦(砂漠の盾)を展開した。それで終結したいうのを知り合いの家のテレビで観ました」
第一志望は商社で経済はわからない
一九九一年中に帰国。同期より一年遅れて就活をすることになった山田の第一志望は商社だった。海外赴任ができそうだし、自分の性格にも合った組織に映ったからだ。
たまたま先輩で住友商事の内定をもらった人がいたので、ますます商社に憧れるようになったが、その先輩がどういうわけか興銀への入行を決めた。
「当時、住友銀行とか三和銀行は知っていましたよ。せやけど興銀は知らんかった。住友や三和は五百人くらい採用していたけど興銀は百数十人。先輩はなんでそんな小さな銀行へ入ったんやろうと思って聞きに行った。そしたら先輩が『わしも最初はそう思っててん。せやけど興銀ってすごい銀行なんや。影響力のある銀行なんや。一人に任せる責任はごっつう重いんや。でも安心せい。お前は入られへんから』って言われた」
そう言われ、かえって興味を持った山田は興銀の面接を受けたが、そこで自分の身上を正直に話した。第一志望は商社であること、自分の性格は銀行に向いているとは思えないこと、経済のことはわからないから期待されても困ること、銀行でやりたいことは特にないこと……。そうしているうちに学生時代の経験を問われたため、バックパッカーとして世界一周旅行をしてパキスタンで睡眠薬を飲まされた話をした。