性に関する男女のダブルスタンダード
戦前から終戦直後までは、未婚者の男女交際は一般的ではありませんでした。
まず、「出会う機会」がほとんどありませんでした。小学校低学年は共学でも、それ以降は基本、男女別学スタイル。当時は、農業などの自営業社会なので、学校を卒業した多くの庶民は、原則として家業を手伝います。つまり、男女ともに親と一緒に働いている。そのような中で、「年頃の男女が出会い、つきあう」という機会はほとんどなかったと思われます。多くの若者は、親の取り決めなどで、「恋愛」期間をもたずに結婚していきました。
いくつか留意しておく点もあります。中産階級の一部のインテリ層には、西洋の自由恋愛へのあこがれがありました。それを描いたさまざまな小説が生まれ、彼らの心をつかみます(小谷野敦『恋愛の昭和史』など参照)。ただし、多くの庶民にとっては「自由恋愛は別世界の出来事」であり、中産階級のほとんどの若者も、実際には親の決めた相手と結婚していきました。
また、地方の農村や漁村などには、夜這いの習慣がありました。伝統社会のなごりといわれ、戦後しばらくの間もこうした因習が続いていたようです。民俗学の調査によると、「若者組」などでの男女の逢い引きなど、結婚前の男女交際が盛んだった地域があることも知られています。
性に関しては、男女の間でダブルスタンダードが存在しました。
男性は、結婚前であれ、結婚後であれ、結婚外の性関係を楽しんでもかまわない。特に、富裕層男性は第二夫人をもってもかまわない、売春もあたりまえのように存在し、未婚男性も、恋愛ではなく、性欲を満たす時代がありました。
一方、女性は、「貞操観念」という言葉が示すように、結婚によって配偶者になる者以外との性的関係は認められない、というのが通念でした。このように男女交際のあり方は、地域や階層によってかなり異なるものの、「男性の性」に関しては比較的おおらかであったというのが事実です。
戦中から戦後にかけての純潔教育
戦中から戦後にかけて、「純潔教育」が広がり始めます。結婚前、結婚外の恋愛や性関係は“よくないもの”だという考え方です。戦時中は「総力戦」といわれるように、恋愛だけでなく楽しみを目的にした活動が当然のごとく禁止された時代です。しかし、戦後になっても、恋愛や性関係に対する“敵視”が引き継がれていきます。
戦後はいわゆる進駐軍相手の売春が盛んになるにもかかわらず、いや、だからこそかもしれません、教育界では「女子がそのような存在にならないようにする」という方針が打ち出されます(元森絵里子「性と子どもの近代史」林雄亮・石川由香里・加藤秀一編『若者の性の現在地 青少年の性行動全国調査と複合的アプローチから考える』、赤川学『セクシュアリティの歴史社会学』参照)。
純潔教育の目的は、「結婚外の性の排除」にあります。
要するに男女平等の観点から、男性と女性を同等にする。つまり、男性には許容されていた婚外の性を、“よくないもの”として禁止しようとする運動です。その結果、男性は表だって第二夫人をもつことが憚られるようになり、売春も法律的には1957年に禁じられることになります。
同時に、「結婚外の性関係」を禁じる価値観、つまり、性関係を結婚の内側に閉じ込めようとする価値観が浸透していく契機となります。この価値観が“結婚前”に適応されると、「婚前交渉の禁止」になります。それが最も徹底されたのが、戦後から1970年頃までだったのです。