「全人格的にお似合いのご夫婦、神の摂理の美妙さ」と絶賛

いわば再婚同士、お見合いに近い形で結婚の話が進んでいったわけで、ここはロマンティック・ラブを描くドラマと違うところだが、実は乾太郎の方が積極的で嘉子への思いが勝っていたという同僚の証言、「結婚したのはお互いに気に入ったからです」という乾太郎の子どもたちの談話もある。周囲からも、裁判官同士、ハイスペックでお似合いのカップルと見られていたようだ。

50年来の親交があったという調停委員の高木右門は、乾太郎のことを「積極的にヒューマニズムの視座から権利保護の姿勢を貫かれた」とリスペクトし、「人間的な親近感」を抱いていたという。嘉子とも一緒に仕事をしていて、乾太郎との縁組みは「全人格的にお似合いのご夫婦が誕生し、神の摂理の美妙さに深く打たれた」と感激。その感激のあまりか、推しカップルの目撃談も披露している。

「乾太郎氏が最高裁の調査官をしていた頃のことと思うが、あるとき旧地裁の片隅にあった本屋でおふたりの姿を見かけ、嘉子さんの乾太郎氏に対する姿勢がおのずからなる甘えを見せていて、思わずほほ笑みを禁ぜざるをえなかったことを覚えている」
(『追想のひと 三淵嘉子』1985年)

法曹界のセレブ、三淵家に嫁いだ嘉子は玉の輿だったか

エリート一家の長男でイケメンの乾太郎と再婚し、三淵嘉子となった嘉子を玉の輿とまでは言わないが、ラッキーだと思った人もいたらしい。内藤頼博はこう書き残している。

「『あの和田君が僕のところなんか来てくれるもんですか』と乾太郎君はいっていたが、ついに実を結んで、(最高裁判所判事の)関根小郷さんご夫妻の晩酌で結婚の式をあげた。乾太郎君に可愛がってもらっていた私の娘が『まぁ、和田さん、金的きんてきね』といった。乾太郎君も、素直で正しい謙虚な人である」
(『追想のひと 三淵嘉子』1985年)

法曹界で祝福された乾太郎50歳、嘉子41歳の時の結婚は、ドラマではどうアレンジして描かれるのだろうか。今後の展開が楽しみだ。

村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター

1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。