裁判官として順調なキャリアを築くも「総力戦研究所」へ
昔の日本の家庭らしく、ベタベタしない、ある意味、不器用な父親と長男の距離感だったようだが、その父の願望どおり、帝大生でも合格が難しい高等試験をクリアした乾太郎は、さぞかし自慢の息子だっただろう。乾太郎は東京地方裁判所、高校時代を過ごした水戸の地裁などで、順調に裁判官としてのキャリアを積んでいく。しかし、太平洋戦争が起こった昭和16年(1941年)、その運命は一変する。
ドラマでも描かれた「総力戦研究所」。これについては、猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』が詳しい。1941年12月、日本がパールハーバーを空爆しアメリカに戦争を仕掛ける約半年前、30歳前後の官僚など、各界のエリートたちが30人ほど集められ、「もしアメリカと戦争をしたら、日本は勝てるのか」というシミュレーションを行ったという。
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