オッペンハイマー「広島、長崎への投下は人体に影響しない」

この報告書が伝えようとしている最重要事項は、原爆投下による残留放射線の危険は少ない、とする主張である。そしてその根拠とされるのは原爆爆発時に発せられる初期放射線は地上に達することがないので、残留放射線は発生しないという説明である。

これはオッペンハイマーの見解によるものだ。「日本の原爆投下では、地面を放射線汚染から防ぎ、化学戦のような状況を引き起こさないように、そして、大きな爆発による以外の恐怖を招かないように、爆発高度を計算して設定した。原爆は地上600メートルという高い地点で爆発したため、放射性物質は成層圏まで到達し、地上に落ちてくるのは極めて少量になる。そのため、広島、長崎では人体に影響を与える残留放射線は発生しない」というのだ。

オッペンハイマー博士、1944年
オッペンハイマー博士、1944年(写真=アメリカ合衆国エネルギー省/PD-USGov-DOE/Wikimedia Commons

もしこの説明が正しかったとしたら、もし報告書が文字通り現実を表していたとしたら、投下後の一切の残留放射線は存在しなかったことになる。原爆症などに苦しむ人々もいなかったことになる。

少なくとも現在、まったく説得力を持たないと見えるこの説明が確たる根拠となって定着させられ、日本の科学者たちが広範に調査して収集した客観的な結果に示された事実、現実を、無いものとして事実上葬り去ったのである(原爆投下後に都築つづき正男東大教授が現地で収集した放射能データをGHQは没収、都築を東大から追放)。

1955年に被爆者が訴えを起こし、三淵嘉子が裁判を担当

戦後、米国による核の独占的支配は間もなく終わりを告げる。ソ連が、アメリカの後を追って核開発を推し進め、1949年核実験に成功して第二の核保有大国となる。ソ連は1950年代には水爆実験をも成功させる。

山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)
山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)

そのソ連も、捏造したともいえる核の虚構の教科書を疑おうとしなかった。アメリカの都合で固められた理にかなわない説明を、そのまま受け入れている。もっともロシア(ソ連)にとっては、データが改竄かいざんされるなど日常茶飯事だから、アメリカが放射線量を低く見積もっていようがかまわない、ということのようだ。

1945年8月、戦いに敗れた日本はアメリカ軍に占領された。占領軍は日本人が原爆投下に疑問を抱かぬよう努めた。メディアもプレス・コードという報道管制に縛られ、沈黙を守った。トルーマンと米軍が犯した非人道的行為は闇に葬られた、かに見えた。

ところが、日本が独立を回復した翌年、1955年、広島、長崎の五人の被爆者が国を相手取って訴訟を起こす。NHKドラマ「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子が裁判官として担当した「原爆裁判」である。

山我 浩(やまが・ひろし)
作家

東京都生まれ。1969年明治大学文学部卒業後、出版社山手書房入社。編集長として『自分の会社を持ちなさい』(竹村健一著)、『リーダーシップの本質』(堀紘一著)、『殿と重役』(ジョージ・フィールズ著)などのベストセラーを手掛けた。現在は独立し、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。著書に『安藤百福物語』(毎日ワンズ)など。