原子爆弾が広島、長崎に投下されてから79年。アメリカ映画『オッペンハイマー』がアカデミー賞を受賞するなど、米国内の原爆に対する意識も変わりつつあると言われる。作家の山我浩さんは「しかし、この間、アメリカはその責任を負おうとせず、戦争犯罪である原爆投下の実態を覆い隠してきた」という――。

※本稿は、山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)の一部を再編集したものです。

8月6日の原爆投下後、広島の惨状をラジオが世界に伝える

1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れ、太平洋戦争、第二次世界大戦は終わった。

長崎への原子爆弾投下後も、アメリカは第三の原爆を落とす準備に入ろうとしていたが、日本の降伏により、投下はされなかった(もはや一発も残っていなかったとの説もある)。広島への原爆投下後、日本は短波放送で広島の惨状を世界に伝えた。

「原爆が投下されたとき、小学生は校庭で朝の体操の最中だった。アメリカ軍は冷酷にも最悪の時刻に攻撃したのだ。人々はやけどで皮膚がただれ、苦しみにもがいている」
「原爆はいまや世界の批判の的となっている。それは“人類への呪い”だ。罪のない市民の大虐殺の様子は言い表すこともできない」
「この死の兵器を使い続ければ、すべての人類と文明は破滅するだろう……」

そこには、アメリカが国際法に違反する非人道的な兵器を使用したことに徹底抗議し、世界の人々に訴えようとの意図が込められていた。

広島に投下された原爆のキノコ雲
広島に投下された原爆のキノコ雲。下に見えるのは広島市街。エノラ・ゲイ乗員のジョージ・R・キャロン軍曹撮影。(写真=アメリカ合衆国連邦政府/PD US Army/Wikimedia Commons

中国は「原爆で平和を勝ちとることはできない」とアメリカを非難

このラジオ放送を情報源に、世界の報道機関は広島への原爆投下を一斉に報じた。8月25日、アメリカのニューヨーク・タイムズは、こう報道した。

「ラジオ東京は伝える。ヒロシマは死者の行列であふれ、生き残った人々も死を待つばかりである。原爆の放射能で、3万人が死亡。放射線によるやけどでいまも死者が増え続けている。放射能は無数の犠牲者を生み、救援にかけつけた人までもが様々な病気に苦しめられている。ヒロシマは死の町と化した」

この記事がきっかけとなって、世界中の新聞社が原爆投下に批判の目を向け始めた。イギリスのデイリー・エクスプレスは、「ヒロシマでは原爆が落ちた30日後にも人が死んでいる。それは『原爆の疫病』としか表現できない」と論じ、中国の解放日報(共産党機関紙)は、「原爆で平和を勝ちとることはできない」とアメリカを非難した。

日本のラジオ放送とそれに呼応した新聞報道がアメリカの残虐行為の実態を白日の下にさらしたのだ。