動画拡散があらわにした感覚の「ずれ」

ロスジェネ世代の若者たちはそういう匂いに敏感であり、非常に嫌う。そして私たちのような本当のバブル世代からは、カラフルな光と相まって、「言いにくいけど、あのテロを起こした宗教団体の選挙を思い出した。ああいうのは、まっぴらごめん」というささやきを、本当に多く聞いた。

なぜあんな動画を拡散したのか。その「ずれ」が、今回の選挙の「ずれ」の最たるものだったように感じられた。

支持者向けのイベントならまだいいが、選挙は多くのひとから支持をとりつけなければならないのだ。

「R」シール問題への対応

話題の「R」もそうである。選挙ポスターに「R」の文字が印刷されているのを見たときには、私も首をひねった。選挙前に「蓮舫=R」をしっかり浸透させておかなければ、ポスターを見た人には違和感しか残さない。ここでも“内輪受け感”を醸し出してしまう。

大量の白黒の「R」シールも、その印象を余計に強くしてしまった。知事選の期間中、東京の都心部で、電柱やガードレールなどに黒地に白抜きで「R」の文字が描かれたシールが大量に貼られたというものだ。蓮舫氏陣営は関与を否定しているが、小池氏サイドからは、蓮舫氏の支持者がやったのではないかという指摘があがる。

また「R」シールと一緒に「多民族都市東京」というシールが配布されていたという指摘もあり、その様子を撮った写真もネットには上がっている。実際、「R」と並んで「多民族都市東京」のシールが貼られている様子を写した写真は、SNSで多数投稿されている。海外でよくみるグラフィティアートの手法を、シールでやろうとしたのだろうか。

しかし、選挙は選挙である。一定のルールにのっとってやらねばならない。記者会見で「R」シールについて聞かれたときに、もし蓮舫氏が「私が指示したものではありませんが、皆さん速やかに剥がしてください。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と謝っていれば、どれほど好感度が上がっただろうと思う。こうしたルール破りや無責任さを、若者は過剰なまでに嫌うのだ。

打ち出しが難しいメッセージ

またこうしたメッセージは、その主張の正誤はさておき、非常に打ち出すことが難しいものである。

「多民族都市東京」のひとつを取ってもそうだ。東京がすでに多民族都市であるというのは事実であるし、多民族と共存していかなければならないことも事実だろう。しかしいま、日本の置かれている経済的状況は、円安とコロナ後のインフレーションと相まって非常に厳しいものになっている。