「伸び悩む電話会社」と「崖っぷちの端末メーカー」で下剋上を
業界最後発同士の共同開発は、失敗に終わる可能性も十分考えられた。しかしこの時、高尾にも、山下の同僚であるシャープの植松丈夫にも、未来が“見えて”いた。
「普通なら、弱小と弱小が組んでも何も起こらないと考えるかもしれませんが、私には見える景色があった。だから組みたいと強く思いました」(高尾)
「お互い最後発ですが、それぞれ長所がある。J-PHONEは型にはまらない斬新なサービスに積極的で勢いがありました。シャープは家電で培った技術やノウハウがあり、液晶やカメラの部品力に長けていた。その2社が融合することで、新しい世界が広がったんだと思います」(植松)
両社が目指したのは、液晶を前面に押し出し、ポケベルよりも長いメールを送ることができる携帯電話。このアイデアが、後にカメラ付き携帯電話に発展することになる。伸び悩む電話会社と、端末メーカーの崖っぷち事業部。下剋上を狙う弱小連合は、こうして誕生した。
シャープ初のヒット端末が出たが、故障が相次ぎ……
1997(平成9)年、J-PHONEとシャープによる携帯電話端末の共同開発が始まった。その翌年には、共同開発1号機となるJ-SHO1を発表。大きな液晶画面に、当時最多の48文字を表示できることが話題になり、シャープの端末としては初のヒットを記録した。
しかし、喜びもつかの間、端末の内部で基板から部品が剝がれ落ちる故障が相次ぎ、生産ラインを止める騒ぎが起こる。東京に出張中だった山下は、駅のホームで上司から電話を受け、トラブルを知った。
「どやされましたよ。大変なことになってる、どないなっとんや! って」
故障が起きた要因は、ユーザーが端末をどのように扱うかという理解が不足していたことにあった。例えば、ポケットに端末を入れたまま座る場合など、強い物理的ストレスに耐えうる設計や技術の蓄積がシャープにはなかった。新しい技術を盛り込みながら短期間で開発したひずみが、故障という形で現れてしまった。
さらに、1999(平成11)年1月、衝撃的なニュースが飛び込んできた。業界最大手のNTTドコモが、携帯電話だけでインターネットにアクセスできる世界初のサービス「iモード」を発表したのだ。