女性活躍の文脈で女同士が競わされた

24年は働く女性の年でもある。大河や朝ドラでは働く女性がテーマとなり、現代の働く女性たちが涙まじりに毎朝毎週その感想をSNSに書きつけているのをご存じだろうか。男性が描き、報じていた時代の「働く女性偉人」像を、女性クリエイターの視線でリアルかつ等身大に上書きするという試みに、いま働き暮らしている女性たちが共感してやまない。

小池百合子氏と蓮舫氏の「女性政治家一騎打ち」という図が持ち込まれた時、そういう定型で取り上げたのはむしろ男性メディアだった。

女性の間では小池氏と蓮舫氏が対等な候補者だと認識されていたとは言い難い。実際に前線で働いているがゆえに政治も経済も身をもって理解しており、なおかつすでにこんなジェンダー後進国の日本に飽き飽きした東京の女性の間では、「2位ではダメなんですか」の事業仕分けで有名な蓮舫氏は、彼女自身が自負しているという行財政改革の立役者という認識ではなく、日本経済失速・墜落の戦犯並みの認識で語られることもあったのだ。

女性活躍の文脈で女同士競わされるという、女性たち自身が望みもしない一騎打ちの図に、当の女性たちからはもううんざりとの声が上がっていた。

「うんざり」、その言葉が全てを象徴するだろう。政治は感情と相性がいい。蓮舫氏の政策というよりも、存在に「うんざり」がタグづけされてしまったのである。

蓮舫氏のまさかの惨敗を受け、陣営には「何が原因なのかわからない」との当惑があるのだそうだ。だがメディアにはリベラル女性代表のように扱われる蓮舫氏は、東京の働く女性の実感やキブンとは離れていた。その結果、「女性政治家一騎打ち」との構図は小池氏の圧勝、小池氏をよかれ悪しかれ日本の女性政治家における一つの正解としてしまう形に決着した気がする。これには必ず功罪が生まれるだろう。

「石丸ショック」の本質

今回、都知事選の最大の教訓は「石丸ショック」だろう。その言葉の意味は「既成政党への有権者の不信に働きかけて無党派層を大量に動かし、得票数2位にまでつけた力」と理解されているが、本質はつばさの党やN党の問題と決してかけ離れてはいない、YouTubeやTikTokなどツールを活用したネット選挙戦運営問題でもある。

年代別の投票先候補者をグラフにした出口調査結果を見て、マーケティング当事者が懸念を思わず口にした。

「最近、若年層にネットのマーケティング手法が効きすぎているんじゃないかというおびえがずっとあるんです。10代〜20代と30代で石丸氏への投票が圧倒的なのを見ると、明らかに昔よりも短絡的になっている感じがある」

横一列になって全員がスマホに目を落としている男女
写真=iStock.com/ozgurdonmaz
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