乳がん判明 手術と治療の日々

お盆もそろそろ終わるというときに、主治医の先生から電話がありました。

お盆休みだというのに生体病理検査を急いでくださったのでしょう。当初、伺っていた予定よりずいぶんと早く検査の結果が出たようでした。

検査の段階で、しこりの形が「嫌な感じだ」と先生もおっしゃっていたので、私も嫌な予感はしていました。

そして、主治医の先生から乳がんである旨が告げられたのです。

それを聞いた瞬間、「やっぱりそうか……」と、達観している自分がいました。

がんを宣告されて「頭の中が真っ白になりました」という話はよく聞きますが、私の場合は、まったくありませんでした。

「なぜ私ばっかり、ひどい目に遭うんだろう」

5月に竜ちゃんが急逝し、8月には乳がん宣告。次から次へと、なぜ私の身にこんな不幸なことが起こるのでしょうか?

よほど前世で悪いことをしたのだろうか、相当な悪党でろくでもない人物だったに違いないと、前世の自分を想像して恨むくらいしか、気持ちの落としどころがありませんでした。

だけど、泣いていてもしょうがありません。泣いていても、時間は巻き戻せないのだから。どんなに泣いても現実は変わらないのだし、前に進めないと思い、自分で意識して気持ちを強く持つようにしました。

私は健康を考え、無添加食品や有機食材、無農薬野菜などを選んで買うタイプで、もちろん、竜ちゃんにも体に良い食材や調味料を使い、できるだけ手作りの食事を心がけて来たのに、自分がなんだかひどく滑稽に思えてきました。

現在、日本人ががんになる確率は2人に1人、そして乳がんに限ると、日本人女性の9人に1人の確率だといいます。何が病を引き起こしてしまったのかと、あれこれ原因を探してみても、なったものはしょうがありません。

兄に報告すると、「逆に見つかって、よかったのかもよ」と言われて、瞬間的に、なるほどと思いました。

自分で触ってしこりを見つけることのできる乳がんだったから、早い段階で気づくことができたのは、運が良かったと思うようにしたのです。

もしこれが内臓系のがんだったら、自分で異変に気付くこともできず、忙しさに追われて病院に行くのも後回しになっていたのではないかと思います。そして、いざ病院に行ったときには手遅れになっていたかもしれません。

心配して連絡をくれる人たちとのやりとりのなかでは、いつも食事と睡眠、そして体に気を付けてと言ってもらっていました。

「体に気を付けてね」

「実は、踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目で、今度は私が乳がんで手術することになりました。ご心配ばかりお掛けしてすみません」

明るく伝えると、皆さんしばし絶句したあと、言葉を選びながら、それぞれに励ましてくれました。

自分の周りにいる乳がん経験者の復活エピソードを話してくれる人も多く、それは私にとって希望の光になりました。

十人十色というように、乳がんは二十胸二十色だそうで、患者ひとりひとり、胸の一つひとつが人それぞれなのだということも知りました。

私の場合、右胸の浸潤性の乳がんで、ステージでいうと1でした。すぐに、しこりの部分とその周辺だけを取る手術を受けることになったのです。