附属の有無で生まれる違い
なぜそうした違いが出てくるのか、その理由ははっきりしている。東京女子大は、かつては短大が併設されていたものの、今は大学だけだ。
それに対して、日本女子大は、附属が幼稚園からはじまる。小学校、中学校、高校と進学していき、附属の生徒たちの多くは日本女子大に進学する。その分、母校愛が強く、しかも成瀬教に「洗脳」されている。小学生は、「成瀬先生」の墓参りをする。
私は以前、慶應義塾の同窓会である三田会について研究し、『慶應三田会 組織とその全貌』(三修社)という本を書いたことがあるが、日本女子大は慶應に似ている。慶應も附属が重要だ。しかも、慶應が「福沢教」であるところでも共通している。
慶應といえば早稲田で、この二つの大学はよく比較される。ただ、卒業生を見ていると、その行動原理はまるで違う。慶應の卒業生は三田会で結束するが、早稲田はむしろ個人主義だ。その点では、東京女子大は早稲田に近い。
門番が不審者を見張る…
最近では、共学志向が強くなり、女子大のなかには共学に転換するところも出ている。それでも、東京女子大と日本女子大が健在なのはどうしてなのだろうか。少なくとも学生の学力のレベルでは、90年代の日本女子大の学生と今の東京女子大の学生は変わらないように感じた。
女子大のメリットはどこにあるのだろうか。
一つは安全ということだろう。一般の大学なら、外部の人間も気楽に出入りすることができる。先日も京都の同志社大学の食堂でランチをしたが、客には近所に住むお年寄りが多かった。東京大学の本郷キャンパスなら、ギンナンを拾いに来ている人たちを多く見かける。
女子大ともなれば、外部の人間が、とくに男性は足を踏み入れることが難しい。東京女子大学には門番がいて、不審者が入校しないよう見張っている。
一度、男性が門番に入校を阻止されている光景に接したこともある。担当の編集者が、私の授業を聴講しようとして、ちゃんと受付をしなかったせいか、追い返されたことさえあった。女性であるにもかかわらず、である。
宮台真司氏が都立大学のキャンパスで襲われたのは最近の話だが、イスラーム学者の五十嵐一氏は、1991年に筑波大学のキャンパスで刺殺されている。犯人は未だにつかまっていない。外部の人間が出入りしやすい大学キャンパスは結構危険な場所なのだ。
東京女子大も日本女子大も、キャンパス内には寮もある。そこは生活空間でもあるわけで、安全の確保は最優先事項になる。