私立の女子大の7割が定員割れを起こすなか、今あえて女子大を選ぶメリットはどこにあるのか。東京の代表的な二つの女子大で教えた宗教学者の島田裕巳さんは「安全性が高いこと、勉学に集中できることが挙げられる。また異性との出会いの機会がないのが欠点とされるが、むしろ反対だ」という――。

東京女子大と日本女子大を卒業した

今年の3月、私は東京女子大の卒業式に参列し、女子大を卒業した。

もちろん、学生としてではなく、教員としてである。東京女子大では11年間にわたって非常勤講師をつとめ、「宗教学」や「宗教史」などを講義した。普通、非常勤講師にはないことだが、8年にわたってゼミも担当したので、学生と接触する機会も多かった。その分、思い出深い教員生活になった。

大学の卒業式を終えた学生たち
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卒業式に参列するというのも、やはり非常勤講師にはないことである。新しく就任された森本あんり学長の招待ではじめてその機会がめぐってきた。ちょうど退職の区切りになると卒業式に参列した。退職したのは、70歳の定年を迎えたからである。

東京の代表的な女子大として、東京女子大と日本女子大のことがあげられることが多い。

私は、1990年から95年にかけて日本女子大で助教授、教授をつとめている。こちらは、オウム真理教の事件に巻き込まれて退職を余儀なくされたのだが、この二つの女子大で教え、また卒業式に参列した経験を持つ人間は、ほとんどいないのではないだろうか。日本女子大では入学式にも出ている。

卒業式に映る大学の理念

今回、卒業式に参列してみて、そこに大学の特徴がよくあらわれていることを実感した。

式場となったのは、国の登録有形文化財になっている講堂で、昭和13年に建てられている。礼拝堂が併設されているのは、東京女子大がミッション・スクールだからだ。大学の英語名には「クリスチャン」が入っている。

日本女子大の場合には、明治39年に建てられた成瀬記念講堂が式場だった。成瀬とは、創立者の成瀬仁蔵じんぞうのことである。成瀬は、NHKの朝のドラマ「あさが来た」(2015年度下半期放送)にも登場した。元は牧師だったが、日本女子大をミッション・スクールにはしなかった。

東京女子大の卒業式はキリスト教式で、賛美歌が歌われ、聖書の朗読もあった。ところが、私が驚いたのは、学長や学部長の告辞はあっても、学生の答辞がないことだった。来賓の祝辞もなかった。入学式もきっと同じ形式なのだろう。

私がそれに驚いたのは、日本女子大の入学式や卒業式では、卒業生の来賓による祝辞がかなり重要な役割を果たしていたからだ。私がよく覚えているのは、岩波ホールの総支配人だった高野悦子氏の入学式での祝辞だった。

これは高野氏に限らないことで、卒業生は必ず成瀬が死を前にして残した「三大綱領」にふれる。信念徹底、自発創生、共同奉仕というものだ。高野氏は、この教育理念にいかに影響を受けたかを熱く語っていた。それは学生の答辞でも同じだった。

日本女子大では、成瀬が崇拝の対象になっていて、「成瀬教」ということばが流布していた。それがもっともよくあらわれるが入学式であり卒業式だったのだ。

附属の有無で生まれる違い

なぜそうした違いが出てくるのか、その理由ははっきりしている。東京女子大は、かつては短大が併設されていたものの、今は大学だけだ。

それに対して、日本女子大は、附属が幼稚園からはじまる。小学校、中学校、高校と進学していき、附属の生徒たちの多くは日本女子大に進学する。その分、母校愛が強く、しかも成瀬教に「洗脳」されている。小学生は、「成瀬先生」の墓参りをする。

私は以前、慶應義塾の同窓会である三田会について研究し、『慶應三田会 組織とその全貌』(三修社)という本を書いたことがあるが、日本女子大は慶應に似ている。慶應も附属が重要だ。しかも、慶應が「福沢教」であるところでも共通している。

慶應といえば早稲田で、この二つの大学はよく比較される。ただ、卒業生を見ていると、その行動原理はまるで違う。慶應の卒業生は三田会で結束するが、早稲田はむしろ個人主義だ。その点では、東京女子大は早稲田に近い。

門番が不審者を見張る…

最近では、共学志向が強くなり、女子大のなかには共学に転換するところも出ている。それでも、東京女子大と日本女子大が健在なのはどうしてなのだろうか。少なくとも学生の学力のレベルでは、90年代の日本女子大の学生と今の東京女子大の学生は変わらないように感じた。

女子大のメリットはどこにあるのだろうか。

一つは安全ということだろう。一般の大学なら、外部の人間も気楽に出入りすることができる。先日も京都の同志社大学の食堂でランチをしたが、客には近所に住むお年寄りが多かった。東京大学の本郷キャンパスなら、ギンナンを拾いに来ている人たちを多く見かける。

女子大ともなれば、外部の人間が、とくに男性は足を踏み入れることが難しい。東京女子大学には門番がいて、不審者が入校しないよう見張っている。

一度、男性が門番に入校を阻止されている光景に接したこともある。担当の編集者が、私の授業を聴講しようとして、ちゃんと受付をしなかったせいか、追い返されたことさえあった。女性であるにもかかわらず、である。

宮台真司氏が都立大学のキャンパスで襲われたのは最近の話だが、イスラーム学者の五十嵐ひとし氏は、1991年に筑波大学のキャンパスで刺殺されている。犯人は未だにつかまっていない。外部の人間が出入りしやすい大学キャンパスは結構危険な場所なのだ。

東京女子大も日本女子大も、キャンパス内には寮もある。そこは生活空間でもあるわけで、安全の確保は最優先事項になる。

警備員の背中
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「ここの学生は皆真面目だ」

大学院になると、男子学生の入学を認めることもあるし、ゼミに他の大学の院生が出席するようなこともあるが、基本、教室のなかには女子しかいない。

それは、勉強に集中できることにつながる。その証拠に、東京女子大で、他の大学から非常勤に来ている教員が異口同音に語っていたのは、「ここの学生は皆真面目だ」ということだった。私は共学で教えた経験がほとんどないので比較できないが、女子大の学生が授業に真面目に取り組んでいるのは事実である。

東京女子大のゼミで、和辻哲郎の『古寺巡礼』を取り上げたことがあったが、ゼミで発表するためにわざわざタイまで出掛け、現地の仏教寺院を見てきた学生もいた。

これは東京女子大と日本女子大に共通して言えることだが、卒業論文の提出が必修になっていて、大学の側がその指導にかなり熱心なことも大きい。それも、学生の数が少なく、専任の教員に指導する余裕があるからだ。東京女子大の卒業式では、学長も学部長も卒論の意義を強調していた。

インカレの勧誘は通過儀礼

ただ、男子がいない分、異性との出会いの機会がないことが女子大の欠点として指摘される。この点について、私が見る限り、むしろ反対の気がする。

それは、「インカレ」の存在があるからだ。インカレには複数の意味があるが、この場合には、複数の大学にまたがったサークルの意味である。女子大の学生はけっこうインカレに入っている。

これは日本女子大で教えていたときのことだ。大学のオリエンテーションがはじまった時期、大学に行ってみると、門の前の歩道橋に、早稲田から来たと思しき男子大学生が群がっていて、日本女子大の学生に懸命にインカレのチラシを配っている光景に接して驚いたことがあった。

早稲田は日本女子大に近いのだが、日本女子大は高台にあり、早稲田の学生たちは急坂を登って来たに違いない。失礼ながら私は、女王蜂に群がる雄蜂を連想した。

女子大の学生の側に立ってみれば、これによって、自分たちは男子に求められる側にいるのだと強く感じる。私は宗教学の授業で通過儀礼(イニシエーション)の重要性を説いてきたが、彼女たちにとって、これは強烈なイニシエーションの体験になったはずだ。通過儀礼は人生の節目に訪れ、その人間の立場を根本的に変える働きをするからだ。

笑顔で話しながら歩く学生たち
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22名のうち17名が既婚者

共学の女子学生が、自分たちの大学にあるインカレから締め出され、それに抗議しているという話を聞くが、少なくとも、女子大の学生のように、男子学生に求められている体験をすることはないだろう。

一度、日本女子大で教えていたときに、ゼミの学生に、大学を卒業して10年になる先輩たちの生活について郵送で調べさせたことがあった。回答があった22名のうち17名が既婚者で、結婚相手としてもっとも多かったのが早稲田で4名もいた。東大や東工大、慶應もいて、理科系という場合が多かった。

偏差値的に言えば、結婚相手の出身大学の方が高い。そうした大学に落ちて日本女子大に入ってきた学生も少なくない。この点に女子大のメリットを見出している学生も少なくないだろう。それに、女子大の卒業生であれば、相手の親に反対されることもない。

空を見上げる女子大の仲間たち
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毎日が「女子会」の世界

女子大は就職に有利というのはよく言われることだが、大学では女子ばかりなので、何でも自分たちでやらなければならないことが影響している可能性はある。男子学生がいると、リーダーシップは男子がとり、女子は一歩引いてしまう傾向がある。その点で、女子大の学生は、男子の前でも引いた立場をとることがない。それは、仕事をする上では重要なことではないだろうか。

卒業生を調査した日本女子大のゼミには、曾祖母から4代続けて日本女子大だという学生もいた。東京女子大では、私は哲学専攻に所属していたが、姉妹で同じ専攻という学生もいた。

共学から女子大に進学した学生は、最初は戸惑うが、すぐに馴染んでしまうらしい。「女子会」が流行っているが、女子大というのは毎日が女子会の世界なのかもしれない。男性にとっては、ちょっとうらやましい話である。