※本稿は、上野千鶴子『こんな世の中に誰がした?』(光文社)の一部を再編集したものです。
自分の人生を生きているか
基本はやっぱり自分が何をしたいかです。そう言うと「わからない」と言う人もいますが、人間を何十年もやってきて、今さら何を言っているんだろうと思います。
こういう答えは特に優等生に多いようです。優等生は自分が嫌いなことでも課題を与えられれば平均点以上にできてしまう、パフォーマンス力の高い困った人たち。そうやって周囲から「すごいね」とほめられることに慣れてしまうと「何がしたいの?」「何が好き?」と聞かれても答えられない。でも、東大生にいつも言うのは、「あなたをほめてくれるのは誰? 親や教師だよね。その人たちはあなたより先に死ぬよね。ほめてくれる人がいなくなったらどうするの?」と。死んでからまで親や教師の呪縛にとらわれているとしたら、自分の人生を生きているとは言えません。
周囲の期待に応えたい女性たち
ある東大卒のキャリア女性がインタビューで「自分の得意が何かと考えたら、人の期待に応えることが得意だとわかった。だからこれからも人の期待に応えて生きようと思います」と言っているのを聞いて、痛ましく感じたことがあります。メディアからお声がかかれば、その期待に応えてメディア芸人のようなこともやるということでしょうか。
そんなふうに周囲の期待に応えたい人たち、とりわけ女性はたくさんいます。目の前にいる誰かを満足させるのが女の役割だと刷りこまれてきてるからです。ケアする性としての女性は他人の役に立ってなんぼ、役に立たない女は存在価値がないと思われがちです。男女を問わず、他人から必要とされる人になりたい、そうすべきだという思いこみはすこぶる強いようです。