オッサンメディアが女性に期待する役割
メディア界から女性に期待される役割には、女に女叩きをやらせる役割があります。たとえば保守系メディアには右翼の女性知識人の指定席があります。
かつてそこを占めていたのは曽野綾子さんや上坂冬子さんでした。最近では三浦瑠麗さんや杉田水脈さんもそのひとりでしょう。産経新聞や保守論壇誌などから声がかかって、この特集にこういうことを書いてくださいと言われたら、オッサンたちの期待を先取りして、オッサンさえ言い淀むようなことを発言して地雷を自分から踏みにいく。そういう役割を果たす女にはいつだってオッサンメディアからニーズがありますから、指定席が空いていれば座る気満々の女も出てきます。そうやって期待に応えると、あとでどうなるか。使い捨てにされて終わりです。
やるべきでないこともある
方向性が定まっていない若い知識人は、塀の上を歩いているようなものだと自覚してください。塀の内側と外側、どちら側に転ぶのか。メディア芸人には危うい選択もあります。途中から保守化していく男性知識人も多く、「この人、若いときはこうじゃなかったのに」と思うことが幾度もありました。
わたしもうんと若いときに産経新聞から「正論」というコラムの執筆者にならないかとオファーを受けたことがあります。いったい誰に頼んでいるのか、と呆気にとられ、申し出を受けませんでしたが、新聞に載ってお金にもなり社会的承認がもらえるならと、舞い上がる人もいるでしょう。
実際、その頃、研究費を潤沢に出してくれるテーマがありました。テーマのひとつが「迷惑施設の研究」で、クライアントは電力会社でした。「迷惑施設」というのは原発の婉曲語法です。新規に原発を建設するとき、地元の市民運動対策をどうすればいいか、どういう戦略で建設を進めればよいのかを研究するというプロジェクトでした。もうひとつはサラ金こと消費者金融でした。貸し倒れを防ぐために、初回の面接でハイリスクを見抜くチェックシステムの開発でした。いずれも研究費は潤沢でしたから、喉から手が出るほど研究費のほしい若い研究者にとっては魅力的なオファーでした。今日では軍事技術の開発に防衛省が出す研究資金が、若手研究者にとって魅力的な資金源になっていることでしょう。
わたしは市民運動をよく知っていましたし、好奇心が強いものですから、「迷惑施設の研究」には乗り気だったのですが、親しい友人たちが「待った」をかけてくれました。「あなたがそんな研究を引きうけるなら、これから付き合わない」と。わたしはそこで思いとどまりました。あのとき引きうけていたら、わたしの研究史上の汚点になったかもしれません。