草彅剛が好演する天才作曲家・羽鳥のモデルは服部良一
ドラマ「ブギウギ」第19週では、ついに名曲「東京ブギウギ」が誕生。そのヒットを機に、福来スズ子(趣里)が「ブギの女王」と呼ばれるようになり、続く第20週ではスズ子が新曲を羽鳥善一(草彅剛)に依頼するものの、忙しさから作曲がなかなか進まない様子が描かれた。
波瀾万丈のスズ子の人生が描かれる本作でも、いつでもブレず、奇想天外の言動により、登場するだけで視聴者を「ズキズキワクワク」させるのが、“天才”羽鳥を演じる草彅剛である。
「東京ブギウギ」誕生のエピソードについて、ドラマでは満員電車の中で羽鳥の頭の中にブギのリズムとメロディーが浮かび、電車を降りた羽鳥が喫茶店に駆け込むと紙ナプキンにメロディーを書き殴り、それを手にスズ子の家に急ぐ描写があったが、これがモデルとなった服部良一の史実通りというところにも、“天才性”が感じられる。
そこで改めて服部良一の人物像を自伝『ぼくの音楽人生』(日本文芸社)などから追ってみたい。
服部良一(以下、良一)は、明治40年10月1日に大阪・本庄で生まれる。
父は久吉、母はスエといい、姉2人、妹2人の5人きょうだい。父の家は尾張の人形師で、祖父のときに大阪に移ったが商売にならず、昼間は武器の工場で働きつつ、母が毎夜内職で生計を助けていた。
貧しい人形師の子として生まれ、苦学していた少年時代
貧しかった良一の西洋音楽への目覚めは、実は近くの教会で歌っていた賛美歌だった。その唱歌の才は、尋常小学校に入学するとみんなのお手本にされるほどで、おまけに品行方正、学業優秀の優等生で級長などを務め続けたという。
しかし、家計が苦しいために小学校5年で新聞配達を始め、商人の道へ。尋常高等小学校では卒業生総代も務めたが、卒業後は貿易商での住み込みや、大阪電通での仕事をしながら、夜学に励む。
そんな良一を音楽に引き戻したのが、「出雲屋」といううなぎ屋チェーンに見習い奉公に出ていた姉・久枝の手紙だった。道頓堀の出雲屋で「少年音楽隊」を作るからと、良一に入隊を勧めたのだ。そこで良一は、学科試験も調音テストもトップの成績で合格。音楽への道を歩み出す。
入隊後も飛びぬけた成績で、他の隊員より大幅な昇給を得る一方、夜学にも励み、優秀な成績で卒業。一方、創作活動の原点は、音楽隊でオーボエ担当からサキソホンバンドのリーダーに転向し、楽譜が全くなかったことから「かっぽれ」「安来節」などを編曲、演奏したことだった。