「自分の娘」ではなく「社長の娘」にできるか? と自問する

では、「娘にしないことはしない」に代わるセクハラのガイドラインは何だろう?

セクハラ訴訟等に詳しい東京法律事務所の笹山尚人弁護士は、「同じことを社長や上司の息子や娘にできるかどうか。これを(セクハラの)基準とすればいい」とかねてより提案している。また、同様のことはSNSでも多くの女性がつぶやいてきた。

セクハラをする人間というのは、異性の人間を目下だと軽く見がちで、だからこそセクハラを働くのだ。もちろん娘や家族に対しても、自分の所有物だ(=好きに扱っても文句は言われない)というおごりがあり、それゆえに半ば無自覚に加害してしまう。

だからセクハラは、「娘にしないことはしない」では防げない。「社長や上司のお子さんにできるか?」と自問自答しなくては、セクハラ人間は自制できないだろう。

このドラマの脚本を手がける宮藤官九郎は、大河ドラマ「いだてん」の執筆中も毎日のようにお子さんの園の送迎をしていた。そんな人であれば「娘にしないことはしない」で十分なのだろうが……。

本当は人を「所有物」と見ている時点で間違っている

では、この「それ、社長や上司のお子さんにできますか?」が令和のファイナルアンサーなのだろうか? 実はそうではない。

そもそも誰かのことを「自分の娘」「上司の息子」などと考えている時点で、人間を「誰かの所有物」とみなしている。自分のモノや目下の人間なら傷つけてよい、偉い人の所有物は大切にする、という発想は、人権意識ではなく、家父長制に基づく選別だ。

いまはコンプライアンスの過渡期だ。だから仕方なく「それ、社長や上司のお子さんにできますか?」をまずは広めていくしかないのだろう。

しかし本来的には、誰であっても尊重されるべきだ。誰もが、誰もに、加害をしてはいけない。これは「我慢しろ」という意味ではない。あなただって大切にされるはずの一人の人間で、加害されるべきではない。それは子どもだって、おじさんだって同じだ。

そして同時に、他人に加害しないように努力するのだ。もしこれまでの自分のふるまいの中に加害性を見出したら、今日からやめればよい。ドラマ第3話の時点で、市郎はそれまでは娘の前で平気でおならをしていたのを、遠慮するようにと変化している。