大奥は将軍の世継ぎを作るために女性を集めた生殖の場だが、ドラマ「大奥」(フジテレビ)で描かれる10代将軍家治の時代は、それでも後継者がいないという問題が発生。経営史学者の菊地浩之さんは「将軍家のスペアとしては既に尾張・紀伊・水戸の『御三家』があったが、8代将軍吉宗の時代から江戸城内に『御三卿』が設置され、これが家治の時代に機能した」という――。
狩野忠信作「徳川吉宗像」
狩野忠信作「徳川吉宗像」(画像=徳川記念財団蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ドラマ「大奥」のヒロインは現在の天皇家とも血縁関係にある

1月18日からフジテレビ系でドラマ「大奥」がはじまった。ついこないだまで、NHKでも、よしながふみ原作の「大奥」ってやってなかったっけ? ともあれ、時代劇自体が少なくなっている現代で、大奥はドラマとして格好の題材なのだろう。

よしながふみ原作の「大奥」は男女逆転のパラレルワールドだったが、今回の「大奥」は、将軍は男、正室は女という――まぁ、当たり前といえば、当たり前の設定である。

時代は江戸時代中盤、10代将軍・徳川家治いえはる(亀梨和也)の正室、五十宮いそのみや倫子ともこ(小芝風花)が主人公だ。五十宮というからには皇族で、父は閑院宮かんいんのみや直仁なおひと親王、祖父は東山ひがしやま天皇、甥に光格こうかく天皇がいる。ちなみに、現在の天皇家は光格天皇の子孫である。

10代将軍の御台所として皇族が嫁いできたわけ

徳川将軍家は3代将軍・家光以来、正室に京都の公家か皇族を迎えてきた。

家光の妹・東福門院和子まさこ後水尾ごみずのお天皇の中宮(皇后)として入内し、兄のために高貴な公家の娘を花嫁候補として物色。関白・鷹司たかつかさ信房のぶふさの娘で、家光より2歳年上の孝子を選んだらしい。しかし、家光は男色にふけって女性には全く興味がなく、正室との仲は最悪だったといわれている。

ともあれ、家柄の釣り合いだけで、徳川将軍家と京都の公家・皇族との婚姻はその後慣例となった。家光の例を見るまでもなく、何せ政略結婚なので、相性がマッチするとは限らない。5代将軍・徳川綱吉も正室とは不仲で、正室に殺されたという伝説すらある。

ところが、6代将軍・徳川家宣いえのぶは夫婦仲が円満だった。家宣は温厚で優秀、自己主張をしない秀才タイプで、公家文化に憧れがあった。一方、正室・天英院てんえいいんはなかなかの才女で、相性バッチリだったようだ。天英院の父・近衛このえ基煕もとひろは家宣との関係から朝廷での地位が向上した。これが京都の公家側にとって好材料になったのだろう。嫁に出す娘に「お前が公方くぼう(将軍)サンと仲ようなったら、お父ちゃんの出世間違いなしやで」と言い含めたに違いない。以後、徳川将軍と正室の関係は正常化に向かっていく。家治の父・家重も正室とは仲が良かったと伝えられる。