ドラマ「大奥」(フジテレビ系)では10代将軍・徳川家治を失脚させようとする悪役になっている松平定信だが、史実ではない。作家の濱田浩一郎さんは「11代将軍・家斉の下で老中となった定信の政策にはいいものもある。しかし、出版文化を統制し、浮世絵や小説本など、町人たちの表現の自由を奪ったのは愚策だった。そのくだりは2025年の大河ドラマでも描かれるはずだ」という――。
「松平定信自画像」天明7年6月
「松平定信自画像」天明7年6月(図版=鎮国守国神社蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons

「大奥」のキーパーソン・松平定信が老中になり行った政治

ドラマ「大奥」(フジテレビ系)では、江戸時代後期、徳川幕府の老中を務めた松平定信(1759〜1829)をSnow Manのメンバー・宮舘涼太さんが演じています。ドラマと違って、史実の定信は10代将軍・家治より22歳も若く、天明7年(1787)になって幕府老中に任命されていますが、陸奥白河藩主時代から「倹約質素」というものを重んじていました。

たくさんの犠牲者を出した天明の飢饉ききんが人々に影響を与えようとしているころ、藩主であった定信は家老を呼び出し「この時に乗じて、倹約質素の道を教えて、盤石の固めとなすべし」(定信の自叙伝『宇下人言』)との言葉を伝えています。

そればかりか、翌日には江戸にいる家臣たちを呼び出し「質素倹約は私を手本にせよ」と言い自ら率先して、食膳を減らし「朝夕は一汁一菜」「昼は一汁二菜」とし、服は「綿服」を着て、節約に努めたのでした。

徳川一門の田安家に生まれ、厳しくしつけられて育った

定信は御三卿(徳川将軍家の一門)の1つ田安家に生まれましたので、幼い頃からぜいたくざんまいでもしていたのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。3度の食事も自分が欲しいものは出してもらえず、着衣やはかまもこれが欲しい、あれが欲しいというのは「禁止」でした。鼻紙を入れる袋を少年の定信が欲しいなと思っても「まだ早い」ということで、買ってもらうことはできなかったようです。定信は仕方なしに乳母に頼んで、代わりになるような袋を作ってもらったといいます。幼い時より、食事・衣服・入浴でさえも、自分の心のままにできなかったということです。

これは、定信の父・田安宗武が我が子に帝王学を授けようとしたと言えましょうか。小さい時より何でも欲しいものを与え、暖衣飽食だんいほうしょくすれば、長じて後、ロクな人物にはならないと思い、定信を厳しくしつけたと思われます。が、そのお陰もあって、藩主となり、いざ質素倹約となった際にも、定信はそのことに苦痛を感じることはなかったと自叙伝に書いています。

定信は衣食のみならず、恋愛も自由にできませんでした。少年時代に「少女」に恋することもあったようですが(相手はもちろんドラマのように10代将軍御台所の倫子ではありません)、色恋は厳禁されていましたので、10代後半に結婚するまでは、真の恋愛感情というものを知らずに育ったのでした。現代に生きるわれわれからしたら、極端で歪な環境で定信は養育されたのです。