痴漢犯罪や、前回書いた虐待の現場もそうですが、自分がそれを第三者として目撃した時、「被害者を助けるという行動に出られるかどうか」には、周囲の見知らぬ人たちが自分と同じように「これは問題である」という認識を持っているかどうか、が非常に大きく影響します。

私が10代で電車内で痴漢に遭った時も、「痴漢です」と言ったら周りの人が助けてくれる場合と、「痴漢です!」と叫んでも無視される場合がありました。周りの対応によって被害者の救われ方が全く変わってしまうのが、こういった問題の特徴です。

だからこの「ギャラリーストーカー」の存在を示す注意喚起ポスターは、被害者の立場として絶対に必要なものなのです。

このポスターのおかげで、行く前に「怪しい人を見かけたらオレンジのユニフォームの人に声をかければいいのね、分かった」とインプットできました。

だけど、ここまでハッキリ注意しているポスターが掲げられているんだから、当日ギャラリーストーカーと疑われるような行動をする者はいないだろう、と私は思っていました。恥ずかしくてできないだろう、と。

ところが、いたのです。

女子学生にだけ話しかけ続ける中年男性をスタッフに通報するまでの一部始終を書き起こします。

学生が作品を販売するフリマに感激

私にとって25年ぶりの武蔵美の芸術祭。昔、飲食店の模擬店がズラッと並んでいたところは、フリマのブースになっていました。学生たちが自分で作った作品をテーブルに並べて売っているのです。それはもう、どの作品とてつもなくかわいい、素敵な品ばかり。

置物やぬいぐるみ、アクセサリーもあるし、食器などの実用的な作品もあれば、見たこともない唯一無二のオブジェを売っている学生もいます。

SNSで作品を公開できる時代になったけど、こうして目の前で本人から作品を買える、「いいね」を押す代わりに直接本人にお金を支払って応援できる、このアナログなフリマのシステムに感激しました。売れたら自信がつくし、そのお金を学生は制作費に充てて新しい作品が作れるし、生活費に充てて元気を保ったりもできる。そして私も作品を持って帰れる。なんて素晴らしい循環を生み出す祭りだろう! 自分が過ごした時代とは違う新しい形の芸術祭に、私は感激しきっていました。

武蔵美の芸術祭のフリマで購入した焼き物です
写真=田房永子
武蔵美の芸術祭のフリマで購入した焼き物です

2人の子どもも、作品たちの魅力に目をキラキラさせていて、「これ欲しい」「これがいい」と指します。そうすると「本当ですか! うれしいです‼」と喜びをあらわにしてくれる学生もいます。私も「買いなさい、買いなさい」といつもよりも敢えて財布のひもをゆるゆるにして楽しみました。他にも展示やパレードなど見応え十分なクオリティに大満足したあと、まだまだ続くフリマを見て回ることにしました。