変わらなくてはいけないのは加害者なのに

こうして、“さびしんぼうウザ絡みおじさん”の後始末を、女子学生を代表とする現役の学生たちが担っているのです。そしてその対策を、現役の学生や歴史のある大学や教授や、卒業生や問題に関心がある人々、そしてメディアが総動員で考えています。

おじさんたちがウザ絡みをやめてくれればいいだけなのに。たったそれだけなのに、それがこんなに難しい。

「ウザ絡みおじさんにウザ絡みをやめてもらう」ということが不可能すぎて、こういった議論の時はもはや、ウザ絡みおじさん(ギャラリーストーカー)たちについての言及がゼロになります。

「ウザ絡みおじさんはなぜウザ絡みをやめられないのか」は別の分野の議論であるため、「ウザ絡みおじさん対策」について思案する際には、ウザ絡みおじさんをいったん横に置いておいて、誰がどのように対策すべきか、どう責任をとるべきか、という話になります。

つまり「ウザ絡みおじさん」は存在として「話の通じないモンスター」や「どうしても湧いて出てくる害虫」みたいなものにどうしてもなってしまうのです。

そんなふうに人としての尊厳を欠いた状態で他人に認識されているって、悲しい。だけど彼らは、自分がそんなふうに他人から認識されることを許しています。自覚していないのか、放棄しているのかは分かりません。

自分の尊厳を自分で傷つけている

他人から嫌がられる言動をして、「やめてくれ」と言われてもやめない。やめられない。結果、害虫みたいに思われて対策を練られてしまう。それって、彼ら自身が自分の尊厳を自分で傷つけていると言えると思います。だから弱い者の尊厳を盗みまくらないといられないのかもしれません。

「ギャラリーストーカーをやめろ」は、自分を傷つけるな、というメッセージでもあると思います。みっともないことするな、害虫扱いなんてされてないで、尊厳を取り戻してほしい。人なんだから。

注意された時こそ、自分を振り返れるチャンスだと思います。哀れで悲しいさみしい人なんかじゃない、立派な人として男性として、女性と世間話をしてもいいところで話してほしい。

注意された時はそりゃキツいでしょう。怒りが湧いたり、自分が正しいと主張したくなることでしょう。

だけど、周りから指摘された間違いを正して、相手の言ってることを理解できたら、誰かからはちゃんと愛されます。人生はそこで終わりじゃないし、それまでやってきたことも無駄じゃないから、どうか話を聞いて、自分を振り返ってほしいと思います。

私自身も、間違いをおかしたときはそうでありたいです。

だから私はこれからも第三者としてギャラリーストーカーを問題視していこうと思います。

田房 永子(たぶさ・えいこ)
漫画家

1978年東京都生まれ。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞(青林工藝舎)。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行、ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『キレる私をやめたい』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)などがある。