「さみしいおじさんなんだから、ちょっとくらい相手してあげて」

社会的に、中年男性のほうが10代20代の女子学生よりも圧倒的に強者です。その図の中では、中年女性の私も、強者です。

第三者の私は、強者ゆえにこの件に関して全く違う考えを持つこともできます。

例えば「ちょっとくらい相手してあげて……さみしいおじさんなんだから…。女子学生は他にも楽しいことあるでしょ」みたいな、中年男性のほうが弱者で女子学生のほうが強者、と権力を逆転させる考えです。強者は、権力を逆転させることができるのです。

「権力の逆転」はなぜ起こるのか

この「権力の逆転」はさまざまな問題で見ることがあります。

例えば90年代の女子高生ブームの時、成人男性や中高年男性が女子高生に金銭を与えて猥褻な行為をする援助交際が社会問題になっていました。当時ニュースや雑誌では「援助交際をする女子高生の性と金銭感覚の乱れ」が大きく取り上げられました。「おじさん相手に自分の体の価値を理解して悪巧みをする女子高生が悪い」という論調が実際にありました。

女子高生は10代であり子どもなのに、その立場を守ろうとするどころか批判する大人が多くいました。

最近でも、立場が上の人物から性加害を受けたと訴える女性のほうが「ついていった女が悪い」とか反射的に責められる光景があります。

そうやって問題視しないでいれば、第三者はラクです。

私もその“ラクになるトラップ”に陥りそうになりました。そういう考えに変更できる選択肢を持っているのも、私が強者だからです。

だけど被害者側、弱者側は、「これも経験だ」とか「相手も悪気はないんだし」とかどんなふうに思考を変更しようとしたって、被害に遭っている事実からは逃げられません。尊厳を傷つけられ、安全と時間を盗まれる加害をされているんだから、「傷つかない」という選択肢はないのです。なのに、相手に「やめてくれ」と言うのが一番難しいのがこの被害者という立場なのです。

だから強者側や第三者が権力の逆転を行わず「悪いことは悪い」という意志をハッキリ表示していく必要があります。

ここで、「ギャラリーストーカー対策委員会」という存在と注意喚起のポスターが掲げてあることが大きな意味を持ちます。

第三者はポスターがなかったら多くの場合は「きっと問題はないだろう」という選択肢を選んでしまうでしょう。もし、迷惑な人物ではない場合は学生から「ちがうんです、大丈夫です」と言えばいいし、被害を事前に防ぐということにおいてポスターは大変有益であると思いました。