デートを繰り返してもうまくいかない人は、なぜうまくいかないのか。臨床心理学者のソフィー・モートさんは「拒絶を恐れている人、『拒絶される』と思い込んでいる多くの人が、デートに行って、まだ始まってもいないのに、自らぶち壊してしまうことがある」という――。(第3回/全4回)

※本稿は、ソフィー・モート『やり抜く自分に変わる1秒習慣』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

どこまでが自分の原因でどこまでが自分以外なのか

たいてい故意の行動ではないが、脳が「自分には耐えられない」と思い込んでいる物事を避けるために取る行動を「セルフ・サボタージュ」という。目標を達成して理想の人生を生きる能力を自ら妨げる行為のことだ。

サボタージュの知識が豊富になると、たいていこんな疑問が浮かぶ。「これのどこまでがサボタージュで、どこまでが状況によるものなんだろう?」。私はいつもこう答えている。「見当がつかないなら、五分五分だ(50パーセントはあなたが原因で、残りの50パーセントはあなた以外のことが原因だ)と考えて、そこから取り組めばいいですよ」と。

そうすれば、自分を責めすぎる人は「何もかも自分のせいだとは限らない」とわかるだろうし、いつも他人のせいにしている人は、わが身を振り返ることができるだろう。

50、50のキューブのイメージ
写真=iStock.com/Seiya Tabuchi
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出会いを求めている、と認めることが恥ずかしい

「デートにまつわるトラブルのどれが私の行動のせいで、どれがたまたま起こったことなんだろう? つまり、まだいい人に出会えていない、ということ」

ゾラは驚くほど自立していて、とびきり頭がよくて、面白くて、とてつもなくおしゃれだ。最後の一言は表面的な話に聞こえるけれど、ここ重要だから! ゾラがセラピーに来たのは、ただ来たかったからだ。治す必要のある急性の症状はないし、対峙たいじしなくてはいけない過去のトラウマもなさそうだ。単純に、彼女は信じているのだ。充実した人生を送りたいなら、セラピーを受けるのがお勧めだ、と。

ゾラは人々の行動に興味をそそられている。そして、自分にもまだ自覚していない人生のパターンがないか、知りたくてたまらない。私は時折思っていた。ゾラは、私のセラピストの先生が「一緒にショーを見てくれる誰か」と呼ぶ存在がほしいだけなのでは? と。別に批判しているわけじゃない。私を含む多くの人が、そういう存在を求めている。つまり、自分という存在の証人になってくれる人がほしいのだ。一緒に人生の浮き沈みを分かち合い、自分を心から理解して、進んで一緒にいてくれる誰かが。

ある日私は、この考えがしっくりくるかどうかゾラに尋ねてみた。そして、「セラピー以外の場所にそういう人はいないの?」と聞いた。「いない」とゾラは答え、「実は出会いを求めている、と認めるのが恥ずかしいの」と打ち明けた。

恥ずかしい理由は、愛やパートナーを求めているなんてみっともない、と思っているから。強い人間はそんなものを求めない、と信じているのだ。強い人間は一人でいるほうが幸せだ――これは、いわゆる「リミッティング・ビリーフ」[訳注:考え方や感じ方を制限する思い込み]だ。これも、「自分の願いやニーズを話してはいけない」と自分自身に命じる、ある種のサボタージュだ。理由は、話したら弱い人間に見えるから。