人とは違った進路を選びたい
やがて高校3年生になり、進路を選択する時期がやってきました。
当時はまだ女性の大学進学率が低い時代で、進学したとしても「文学部」を選ぶ人がほとんどでした。
ここで私の“人と違うことをしたい病”がむくむくと頭をもたげます。
不動産業という仕事柄のせいか、父は法律に詳しく、仕事関係で家にやって来た人と法律関係の話をすることがありました。
内容はわからずともその話に興味を持っていた私は、「法学部」へ進学することにしたのです。
大学進学を理由に親元から離れて、東京でひとり暮らしをする気満々。珍しく親もそれに賛成してくれていたのですが、いちばん入試日程の早かった神戸の甲南大学に合格したとたん、手のひらを返されてしまいました。
「近場の大学に合格したんだから、もうほかを受ける必要はないだろう。東京にはやらない」という父の言葉で万事休す……。
従うしかありませんでした。
とはいえ、大学生活は満喫できました。
父の仕事がよりいっそう忙しくなり、ほとんど家に帰って来なくなったからです。そうなると、もう私の天下です。
ジャズボーカルに興味を持った私は、知人の紹介で、キャバレーやジャズバーに出入りして歌わせてもらうようになりました。
一方で、そのころデザイナーズブランドのブームが始まりました。オシャレをするのが好きな私は、見よう見まねで流行の最先端の服を手づくりするようになります。
昼は大学と服づくり、夜は遊びとジャズシンガーの活動と、毎日があっという間にすぎていきました。
同じ家庭環境の人との出会い
そんな大学時代、私はひとりの男性と巡り合いました。
彼は神戸の某老舗のひとり息子。生まれて初めて自分と同じ家庭環境の人とおつき合いしてみて、とても心が楽になるのを感じました。
いやみったらしく聞こえるかもしれませんが、ある時期、私はどうやら自分の家が裕福らしいと気づいたのです。
たとえば、大学生になると車の免許を取りに行く人が多いですよね。でも、免許を取りたての大学生の娘や息子に、「免許の次は車ね」とポンと車を買ってくれる家はそう多くないと思います。
ところが、私の家はその少数派の「免許の次に車をポンと買ってくれる家庭」だったのです。
今となってはとんでもない贅沢だと感じますが、当時の私は裕福な生活が当たり前になってしまっていて、「車の色が気にくわない。私に選ばせてくれればよかったのに」なんて思っていました。
本当に罰当たりな話です。
そんなことを堅実に生活している家庭で生まれ育った人には言えません。小娘の私にも、それくらいはわかりました。
ところが、彼には言えたんです。私と同じか、それ以上に裕福で、欲しいものはなんでも与えてもらってきた人だったからです。
そういう意味で、彼といるのはとても気持ちが楽でした。「この人とは価値観が合う」と感じたのです。
夏休みにはお互いの親が所有する別荘で過ごすなどして、ごく自然な流れで大学を卒業して半年後には結婚しました。