転職してから金融グループ企業のトップになるまでの15年
第5回「プレジデント ウーマン リーダーズサロン」は、大手ネット証券グループの「マネックスグループ」の代表執行役社長CEOであり、「マネックス証券」代表取締役社長の清明祐子さんをゲストスピーカーに迎え、清明さんご自身のキャリア変遷をたどりながら、リーダーとしてどうチームをまとめ、動かせばいいのかを、参加者それぞれが考えられる内容の濃い講演となった。
清明祐子さんは大学卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入社。銀行の営業職として8年働いた後、2009年にマネックス・ハンブレクト(現マネックス証券)に転職。2011年にマネックス・ハンブレクト代表取締役社長に就任。2013年、マネックスグループ執行役員、2018年マネックスグループ常務執行役となり、2019年にマネックス証券代表取締役社長に就任(現任)。2020年にマネックスグループ代表執行役COOとなる。2022年にマネックスグループ共同CEO兼CFOに。そして2023年にマネックスグループ代表執行役社長CEOに就任し、現在に至る。マネックスグループに転職してから15年。これまでの道のりを振り返りながら、トップとして考えることなどを語った。
転職後2年目に突如「社長になれ」
銀行員時代の20代〜30代前半までは、とにかく仕事人間。営業職で、オフの飲みもゴルフも全部営業のためにやっていたほど。
その頃の銀行はまだまだ男性社会。営業担当が交代して私が行くと「なんだ女か」と言われたこともありましたが、「そらそうだよな。突然女性が来てびっくりするわな」と思った程度。むしろ性別でマイナスから入るということは、ちゃんとした仕事をすればプラスにしかならないと考えました。
3年ほど営業職をして、東京の本部のストラクチャードファイナンス部に異動になりました。仕事自体はとても楽しかったのですが、少々違和感を覚えて転職を決意しました。
転職先として選んだのが、プライベートエクイティファンド(PEファンド)を運営するMKSパートナーズ。当時、銀行からPEファンドへ転職するのはレアなケースだったと思います。実際にMKSパートナーズに在籍する人の多くはコンサルティングファーム出身か、MBAを取った後に転職してきたような人たちでした。転職後は苦労の連続で、最初のうちは専門用語を知らず、職場の人たちが何を言っているのか日本語でも分かりません。心が折れそうになる瞬間もありましたが、私は人に恵まれていました。気にして声をかけてくれる先輩たちがいたので、困っていることも気軽に相談できました。そうして成長できたあの転職は、今振り返ってみても正解だったと思います。
しかし、2年後の2008年、リーマン・ショックがあった年に、MKSパートナーズは会社自体がクローズするという意思決定をしました。
2009年にやっと入社できたのがマネックスグループの子会社、マネックス・ハンブレクト(現マネックス証券)。社員4、5人の小さな会社です。そこで働き始めて2年目の2011年、突然、親会社から「社長をやって」と辞令を受けました。元々私を雇ってくれた社長と役員の上司だった人が突然部下になるという事態が発生する社長交代劇です。会社は赤字続きの会社をそのまま引き継いだ形ですが、引き受けたからにはやるしかなく、一生懸命やりました。
1年目で設立以来初めての黒字化を達成し、2年目で累積赤字をすべて解消しました。
他社のM&Aアドバイザリーを一生懸命やって会社を黒字化しましたが、2013年、自社のM&Aをやりなさいと言われ、マネックスグループグループの執行役員に就任。2019年、今度は「マネックス証券の社長をやって」と言われ、代表取締役社長に就任しました。
ご存じのように、マネックスグループ、マネックス証券はカリスマ的存在の松本大が1999年に創業した会社です。そのカリスマから社長を引き継ぎましたが、私は松本と同じようにはできないし、比べられるのも違うと思い「松本大のマネックスから私たちのマネックスをつくります」と、広く宣言していました。そして、2020年からマネックスグループの持株会社の代表執行役員となり、2023年6月から、プライム市場に上場しているマネックスグループ(ホールディングカンパニー)の代表執行役社長CEOになりました。