二代将軍・秀忠の時代になって影響力を失い55歳で死す
1616年に家康がこの世を去った。息子の秀忠は家康の側近たちから距離を取り、独自の政治を行うようになった。家康が出していた禁教令を強化しながら、外国人が貿易できる範囲を長崎と平戸に限定した(二港制限令)。家康が考えていた自由貿易とは真逆の政策を打ち出した。アダムスは納得できず、自由貿易の重要性を幕府の高官たちに訴えたが、聞き入れてもらえなかった。
秀忠には謁見することすら許されず、ついには外交顧問からも外されてしまった。それまで家康から寵愛を受けていたアダムスは急速に影響力を失った。その後は、イギリス人とオランダ人のために尽力しているが、貿易条件の改善が得られないまま、家康の死からわずか4年後の1620年5月16日に55歳でこの世を去った。
テレビドラマがきっかけだった三浦按針との出会い
筆者が小学生だったときにアメリカのテレビドラマ『将軍』が放映されていた。『将軍』はイギリス人のジェームズ・クラベルの小説に基づき、徳川家康、ウィリアム・アダムス、細川ガラシャの生涯をモデルにしてつくられたフィクションのドラマである。まさに本稿で扱ったアダムスが日本に到着した時から関ヶ原合戦までの時期を描いている。
このテレビドラマを観た筆者は、日本の歴史に興味をもった。歴史家の道を歩むようになり、いつの間にか家康、アダムス、ガラシャの研究に没頭するようになった。2024年2月に『将軍』のリメイクが放映される(ディズニープラスで配信される「SHOGUN 将軍」)。筆者はその時代考証全般を任された。四十数年前に日本の歴史を研究するきっかけとなった『将軍』の時代考証を担当することになるとは当時思いもしなかった。運命とは不思議なものである。
1970年、ベルギー生まれ。京都大学で博士号(人間・環境学)を取得。専門は戦国文化史、日欧交渉史。著書に『ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針』(ちくま新書)、『明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像』(共著、筑摩選書)、『オランダ商館長が見た江戸の災害』(講談社現代新書)、『戦乱と民衆』(共著、講談社現代新書)などがある。