無責任な射精を減らす

法的権利なのか、道徳的権利なのかにかかわらず、あなたが中絶のみに着目しているのなら、望まない妊娠の数を減らすことはできませんし、無責任な射精の回数を減らすこともできません。

でも! もしあなたが無責任な射精の回数を劇的に減らすことに着目すれば、望まない妊娠を減らし、中絶の数を減らすことができるでしょう。

男性にターゲットを絞ることが現実的な判断だ、と理解していただけたかと思います。私たちは間違った道を走り続けてきたのです。男性に着目し、無責任な射精を止めなければなりません。それ以外のこと――中絶を含む、望まない妊娠を減らすこと――は、おのずとついてきますから。

女性から責任を奪うわけではない

こう考えているのではないでしょうか。「すべての望まない妊娠の原因は男性だって? そんなはずはない。あまりにも不平等じゃないか。おかしいと思う。女性から責任と主体性を奪う考えだ。女性は判断する力を持ち合わせない、非力な存在だとでも? 女性は弱い存在だとでも? 彼女らを被害者にしているだけでは?」

いいえ、私は女性たちから責任を奪おうと思っているわけではありません、私はただ、彼女たちがつきあっている男性たちに呼びかけているのです。男性が自らの行動に責任を持つことは、女性を被害者にはしません。男性に責任ある行動を求めることは、女性が責任を取らないことを許すのと同じ意味ではありません。

男性やその責任について話題に出すからといって、女性について新たに言及しているわけではないのです。

別の例を挙げさせてください。

2人の10代の若者ジェニファーとデイビッドが、学校で行われるグループ研究に参加することになりました。ほとんどの作業をジェニファーがやりました。誰かがデイビッドに「おい、ジェニファーしか仕事をしていないじゃないか! お前もちゃんと仕事しろよ」と言います。これはジェニファーが今後一切仕事をしなくていいという意味になるでしょうか?

なりません。デイビッドが自分自身の仕事に責任を持って、実際に作業をする必要があるという意味です。

男性の責任を考えるとき、女性が自分の性生活を管理できないとか、受け身の被害者であると考える必要はありません。私が「無責任な射精が望まない妊娠の原因になる」と言うとき、女性はセックスをする時を選ぶことができず、理由を選ぶことができず、方法を選ぶことができず、あるいは誰とセックスをするのか選ぶことができないという意味になるでしょうか? なりません。

妊娠検査陽性
写真=iStock.com/Thanumporn Thongkongkaew
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