そこが本作のうまいところで、養う女と養われる男が不当なジャッジをされないように「養われる男に金で買えない才能があること」をはっきりと描いているのである。養う女の経済力と養われる男の才能が「等価交換に値する」と明らかにされる過程において、養う/養われるの非対称性および権力性が無効化され、養う女と養われる男は、美しき一組のカップルへと変貌を遂げるのだ。

一見悲惨なDV物語に見える『自虐の詩』

ちなみに、一見すると悲惨なDV物語であるかに見える業田良家『自虐の詩』も、構造的には『きみはペット』とよく似ている。

業田良家『自虐の詩 上』(バンブーコミックス 4コマセレクション)

ギャンブル狂いで乱暴者の「葉山イサオ」は、生活能力ゼロの金食い虫で、ちょっとでも気にくわないことがあればすぐにちゃぶ台をひっくり返す男。一方の「森田幸江」は、ほとんど働かないイサオをパートで養い、家に帰れば家事全般を引き受け、ついでに酔ったイサオの面倒をみるなど、イサオ中心の生活を送る女だ。

幸江がなぜここまでイサオに尽くすのか、最初の時点ではよくわからない。「仕事もしないでテーブルばっかしひっくり返してサ もう別れちまえばいいのに」……隣の部屋に住んでいるおばちゃんですら、なんでふたりが一緒にいるのかよくわからないでいる。

しかし、物語がラストに近づき、ふたりのなれそめが描かれるなかで、その謎は氷解する。クズ男だと思っていたイサオが、違法薬物に手を出すほど荒れていた幸江を愛の力によって救いだし、貧しくとも健康的な生活へと導いた過去が明かされるからだ。

彼は、ただの女から搾取するだけの男じゃなかったどころか、惚れた女の人生を変えた男だったのだ。これが『自虐の詩』における「養われる男に金で買えない才能があること」の中身である。つまり彼らもまた、彼らなりの価値観にしたがって経済力と才能の等価交換を行ったのだ。

もちろん、常識的に考えれば、いくら過去に素晴らしい行いをしたとはいえ、惚れた女をパートで働かせギャンブルばっかりしている男なんて、別れてしまった方がいいし、幸江ひとりで稼いで食って生きていった方が楽であるようにも思える。しかし、この先も彼女がイサオを手放すことはないだろう。どれだけ理不尽でコスパが悪くても、幸江はイサオのそばにいて、彼を支えたいのだ……かつて自分がそうしてもらったように。

トミヤマ ユキコ(とみやま・ゆきこ)
ライター、マンガ研究者、東北芸術工科大学芸術学部文芸学科准教授

1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、同大学大学院文学研究科に進みマンガ研究で博士号を取得。2019年4月から東北芸術工科大学教員に。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーについて書く一方、大学では現代文学・マンガについての講義や創作指導も担当。2021年より手塚治虫文化賞選考委員。著書に『10代の悩みに効くマンガ、あります!』(岩波ジュニア新書)、『文庫版 大学1年生の歩き方』(共著、集英社文庫)『少女マンガのブサイク女子考』(左右社)、『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)、『パンケーキ・ノート』(リトルモア)などがある。