灰原哀や安室透や赤井秀一の人気はファンが成熟したから

歌舞伎では、見得が出てきたら拍手や掛け声が入ることがあります。それから、ミュージシャンにはファンたちの呼び名があったり(BTSならARMYだとか)、あるあるのコミュニケーションがあったり(星野源ならニセ明だとか)します。そういう様式化されたやりとりの共有は、そのコミュニティーの結びつきを高めてくれるのです。

また、様式化にはもうひとつメリットがあります。それは、キャラクターを立てることに注力できることです。事件を解決するプロセスで必要なことを様式に訴えて省力化することで、キャラクターの魅力を描くことに時間をかけることができるのです。

灰原哀、安室透や赤井秀一をはじめとする魅力的なキャラクターたちが際立って感じられるのは、ファンコミュニティーが様式に十分慣れ、キャラクターを描くことに時間を割けるほど成熟したからだと言えそうです。

安室透と赤井秀一
©青山剛昌/小学館・読売テレビ・TMS 1996

事件を起こす大人、推理する子供

「名探偵コナン」は探偵が子供なので探偵ものとして奇妙であり、それがドラマを生んだり、中盤以降は様式を生んだりして、コナンの面白さを形作っているのだと指摘しました。

続けて「子供」という論点を深めていきましょう。コナンでは、計画的であれ突発的であれ、すべての犯罪が大人によって行われます。つまり、事件は〈大人の世界〉で起きるわけですが、コナンは〈子供の世界〉に属しています。コナンでは、〈大人の世界〉と〈子供の世界〉という対比があちこちに埋め込まれているのです。

例えば、事件の経緯をコナンが情報収集と推理によって見通したとしても、〈子供の世界〉に属する彼の推理は、〈大人の世界〉には届きません。犯人がわかっても、警察や大人の探偵はまともに取り合わないからです。それに、武器なしのタイマン勝負では、大人である犯人に、小学1年生であるコナンは肉体的にかなうわけもありません。

要するに、言葉・安全・体力などさまざまな面で、コナンは〈大人の世界〉に対して劣った位置に置かれているため、独力では探偵仕事をやりおおせられないのです。だから、探偵としての役割を果たすには、機転を利かせたり、道具を使ったり、誰かを頼ったりする必要が出てきます。