子供探偵がさまざまな困難に直面するおかしみ

「子供探偵」という設定の奇妙さを掘り下げてみましょう。主人公の江戸川コナンは並外れた観察力や知性を持ち、名探偵の資質を備えていますが、小学1年生の見た目をしています。だから、彼の言葉がまともに聞かれることもなければ、安全に調査することもできないのです。

そうなると、探偵の一連の流れを実行しようとすると、いろいろな困難に直面せざるをえなくなります。この探偵ものとしてのズレっぷりが、物語を駆動するトラブルやドラマ、あるいはコメディー(おかしみ)を生じさせていきます。

具体的に言えば、彼は子供であるという理由で、探偵が従事する一連の流れのうち、「推理」以外のすべてから締め出されているのです。本作の序盤では、締め出されるがゆえに直面するトラブルや困難が、「名探偵コナン」の魅力を生み出しています。

2023年7月8日放送「天才レストラン」より
©青山剛昌/小学館・読売テレビ・TMS 1996
2023年7月8日放送「天才レストラン」より

しかし、探偵ものの定石を崩すことで生まれていたドラマは、ある程度話数を重ねてくると様式化していきます。つまり、探偵ものからズレた奇妙な行動が、いかにもコナンの世界らしい定石になっていくのです。

これは、探偵ものとしての「あるある」からのズレを面白がるフェーズから、「コナンっていつもこうだよね」と、コナンの定石をファンたちに面白がってもらうフェーズにコンテンツが転換したことを意味しています。コナン独自の「あるある」(=様式)を仲間内で共有できるようになるわけですね。

シリーズ化する上で「あるある」が生まれることの意味

少し話は逸れますが、作品の様式(スタイル)ができあがることについても触れておきたいと思います。様式は、コンテンツの力が貧弱なら観客を飽きさせかねないのですが、うまく実装されさえすれば、ファンたちをますますのめり込ませる力があります。

様式化されてしまえばこちらのもので、今度は、そのルーティン化した奇妙な様式自体が、ファンコミュニティーにとっては魅力的に見えてきます。というのは、自己言及ができるからです。例えば、コナン映画の定石の奇妙さをコメディーに仕立て、公式のスピンオフ作品『名探偵コナン 犯人の犯沢さん』(2017~)が出版されていますし、作中では探偵の毛利小五郎が行く場所行く場所で殺人事件が頻発するので、本編では「お前は死神か」という軽口まで出てくるくらいです。