ママたちは無意識レベルでやっている
こうやって書くと、「そんなことしてるやつ本当にいるのか?」って思う人もいるかもしれないけど、ママたちはそれを自分でも気づかないレベルの無意識でやっています。
小さい子がいる母親(父親も)というのは、他人の子であろうが、子どもの安全に対してものすごい執着を発揮します。
ママ友と話しながら私が「あ、あの子ママといたね、よかった」とつぶやくと、ママ友も「そうそう、パパだけかと思ったよね」と返ってくる、そんな光景は毎度のことでした。
ベンチ寝パパに「今から寝るんで、うちの子見ていてもらえますか」と頼まれたわけでもない。自分でも、やらなきゃ! と思って努力しているわけじゃない。ただただ、そうやって“視界の隅で世話”をしてしまうのです。体が動いてしまう。
ベンチ寝パパよ、そこに、頼っていないかい……?
もしこの公園にママたちや他の子が誰もいなくて、サイコキラーピエロみたいな格好の人だけがいたら、そんなにしっかり目を閉じますか?
心のどこかで、「こんだけママたちパパたちがいるんだから、見ていてくれるだろう」って思ってますよねえ?
ほかの保護者に負担をかけているのに
どうしても眠くて、ベンチに座ったままつい船をこいでしまう、ならママもあります。でも後頭部もひざの裏も踵もベンチに乗せるのって、睡眠への意欲がすごい。
「あのう、ちゃんと起きてご自分の子を見てください」なんて知らない男性に言うつもりはない。それよりその人の子どもを視界に入れておくほうがまあ、ラクだから。
だけどぽかぽか陽気の空の下、気持ちよく寝ている時、他のママやパパたちが動体視力を駆使してあなたの子どもがけがしたりいなくなったりしないように見張っている。それだけは知っていてほしい。
というのはベンチ寝パパに対して、いつも思っていました。
他人の子を視界に入れておくくらい、いいじゃないの、って意見もあると思います。でも核家族、核社会が極まっている今、自分の子は自分で見る、が完全デフォルト。だからそうしない人が他の人に負担をかけることになってしまう。そういう土台の上でみんな子育てをしている時代です。
だから「無意識保育」の負担を他の保護者に発生させないよう、これまた意識的にも無意識にも保護者同士で気を配り合っている、というのが現実。
赤ちゃんを抱っこするパパたち
娘が5歳になった時、息子が生まれました。
その頃には、抱っこひもで赤ちゃんを抱き1人で歩いているパパをたくさん見かけるようになって、驚きました。
その前は、1人で赤ちゃんを抱っこひもで自分の体にくっつけて歩いている男性は珍しかったです。そして「イクメン」も、10年前は常に賛否両論を背負った状態でメディアで見る言葉でした。でもいま、さっぱり見ないですよね。