夕刊フジ編集長の中本裕己さんは、56歳だった2020年に初めて父になった。中本さんは「45歳で出産した妻は、妊娠前に10センチの子宮筋腫があり、子宮頸ガンの疑いもあって、2020年3月には子宮全摘手術を予定していた」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、中本裕己『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)の一部を再編集したものです。

退院の日の中本裕己さん家族
退院の日の中本裕己さん家族。中本裕己『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)より

子宮全摘手術への葛藤

今後の人生を考えて、子宮筋腫の肥大化による血栓の危険性と、「子宮頸ガン疑い」が同時に消える「子宮全摘手術」を現実として考え始めていた妻。

そのときの心境はどうだったのか。

「お医者さんに、『いや産みたいんで……』という年でもないし、妊活も不妊治療も真剣に考えてこなかったから、そこで『子どもは欲しいので全摘だけはしたくないです』とは言えなかったの。ただ、そこで初めて、『二度と子どもは持てない』『100%無理なんだな』とわかって、ズーンと落ち込んだ。子宮筋腫が大きくなり出した40歳前から、なんとなく予感はしていたけど、なにもしてこなかったから」

「あとはなによりも、臓器を1つなくすという恐怖。ホルモンバランスがおかしくなるだろうし。その一方で、病気になるほうが怖いし、ガンになるのも怖かったから。手術を先延ばしにすることにあまり意味はないだろうなって」

子宮全摘手術を勧めた医師に、妻は「わかりました。そっちの方向で考えます」と答えていた。

2020年3月の手術を決断

クリニックから紹介を受けていた日本医大付属病院では、子宮全摘手術の日程が詰まっていて、早くて来年(2020年)の3月以降ということになった。

ところが、11月のある日、「手術のキャンセルが出たので、いますぐ予約できます。どうしますか」と連絡が入った。妻が振り返る。

「えっ! うわーっと悩んだ。仕事もあったし、手術をしたらすぐには復帰できないだろうから、どうしようかと。主人と相談しますと言って、待ってもらったの」

すぐに手術しなくても、命に関わるような状態ではなかった。

だが、もし、キャンセルで空いた手術日にお願いしていたら……。我が子と対面することはなかったのだ!

このとき妻から相談を受けた記憶は鮮明にある。この先の2人の人生も短くはないだろうし、なにより妻には長生きしてほしいと思ったので、「3月には子宮全摘手術を受ける」と決断した妻に反対する理由はなかった。

私もこれまでの人生を振り返って、子どもができにくい体質なのかな、という自覚もあり、でも精子の状態など生殖能力の検査をしたことはなかったため、「妊娠の可能性が少しでもあるなら、体のリスクを犠牲にして、子宮を温存しよう」とはとても言えなかった。

妻は自分の母親にも報告した。「病気のリスクがなくなるし、重かった生理もなくなるから」と告げると義母は、「あなたがそう決めたのなら」と賛同したという。