夫をめぐる嫉妬妄想が悪化
59歳ごろからは夫が友人の男性二人とひんぱんに競馬に行くことを不審がり、夫と彼らが「性的な関係」にあると勘ぐるようになった。さらに、次女が出したゴミを漁っていた所を夫に注意されたことをきっかけにして、嫉妬の対象は次女に移った。
外来受診時には、「目が見えにくくなってきて人を疑うようになっている」「夫に目薬に毒を入れていると言ってしまう」などと述べている。こうした発言からすると、自らに精神変調がみられることをある程度自覚していたようである。
けれども体調の悪化に伴い、嫉妬妄想が活発になり、身体的な愁訴も増悪した。「舌がしびれる。娘が毒を入れた」と騒ぐこともあった。内科の医師より、「あなたはうつ病だ」と言われてショックを受け、「うつ病と言われてもうだめだ」「家族にだまされている」という遺書を書いた後、76万円を持って家出をしようとした。家族より制止されたが「迷惑かけたから飛び降りて死ぬ」と泣きながら話すため、そのまま精神科に入院となった。入院すると状態は安定化し、嫉妬妄想に対して、「家に帰るとつい疑ってしまう。だめな母親だ」と客観的な発言も認められるようになった。
視覚の低下で妄想が出現しやすい
加藤さんは1カ月あまりで退院となったが、退院後はすぐに入院前と変わりない状態となり、夜中に起き出して夫のところへ行き濡れタオルを指差して「昼間私のいない間にセックスしてそれで拭いたのだろう」と決め付け、「何かしたでしょ」と次女に喰ってかかるようになった。
このため再度精神科に入院となった。入院時には、身なりは整っており、視野が狭いためか覗き込むようにして話す。しぶしぶ入院を承諾したが、思い込みが強くて了解が悪く説明に時間を要した。入院後は多少の動揺はみられたが、比較的速やかに嫉妬妄想などの病的な症状は消退している。
一般に視覚、聴覚などが低下した人の場合幻聴や迫害妄想のような症状が出現しやすいと言われている。視覚という感覚が遮断されて外界との接触が減った場合、この女性のような妄想反応は十分起こり得るであろう。診断的には、加藤さんの場合も妄想性障害に当てはまっているが、症状の内容からは、「性」への妄執と孤独がこのような症状の出現に関連しているように考えられる。
1959(昭和34)年、神奈川県生まれ。東京大学医学部医学科卒。医学博士。発達障害の臨床、精神疾患の認知機能の研究などに従事。都立松沢病院、東大病院精神科などを経て、2012年より昭和大学医学部精神医学講座主任教授、2015年より昭和大学附属烏山病院長を兼務。著書に『発達障害』(文春新書)、『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春新書)、『誤解だらけの発達障害』(宝島社新書)など多数。