優先順位は何か。夫のひと言で手放すことを覚悟
翌年、海野さんはその部署へ異動する。チームには聴覚障害や発達障害のあるメンバーがいて、チームのマネジメントに取り組んだ。やりがいも見いだして頑張っていたが、仕事と育児の両立は厳しく、毎日分刻みのスケジュールで動いては倒れるように眠る生活が続く。そんな日々の中で腸閉塞を併発して2度入院。肝心のリハビリにも専念できず、それを見ていた夫にこう言われたのだ。
「お前はそんなんで、歩けるようになる気はあるのか?」
厳しいひと言にハッとしたという海野さん。「私はせっかく生き延びたのに、仕事にしがみついて手放せなかった。何もかも中途半端になっていたことに気づかされて」と顧みる。
夫は淡々とした言葉で背を押してくれた。「仕事なんて、歩けるようになってからいくらでもできるじゃん」と。
今までどんな思いでキャリアを築いてきたか……それを手放すのはやはり怖かった。病気になるまでは、30代、40代と思い描く夢もあった。だが、夫のひと言で、いったん仕事を手放す覚悟を持てた。海野さんは一年休職することを決め、治療とリハビリに専念する。幼い娘も「ママ」と呼んでくれるようになり、子育てを楽しむ心の余裕ができた。
2022年3月、海野さんは職場へ復帰。新任の車椅子の男性上司と新たなプロジェクトに取り組む。メルカリに所属するパラリンピック選手をサポートする業務だ。さらに自分がやるべき課題も見えてきたという。
「障害者雇用の世界はベールに包まれているというか、あまり語られない部分がすごくあると思います。例えば、数字目標だけに目が向きがちな法定雇用率の問題。あるいはもっと根本的な、健常者と障害者との間に存在する見えない壁があることも表に出てこない。できればそのイメージを変えたいし、もう少し世間の人たちに認知される働きかけができたらいいなと思うのです」
仕事をいったん手放したことで、目的意識も強く持つようになった。昔は“仕事を頑張っている自分”がすべて。必死で頑張りながらもしんどさを抱えていたが、今は仕事と向き合う気持ちも変化している。
「今はすべてがエンターテインメントなんです。難しいことや困難にぶつかるほどアドレナリンが出て(笑)、生きていることを実感できる。より仕事を楽しんでいる感じがしますね」
自分の中の優先順位も変わっているようだ。メルカリには日本国内であればどこで働いてもいい“YOUR CHOICE”という制度があり、海野さんは一家で福岡へ移住。山や海が身近にあるのどかな街で暮らし、家族と過ごす時間が増えた。そして東京のオフィスへ出張する際は、車椅子の身でも一人で飛行機や電車を乗り継いで出かけていく。
今も治療やリハビリは継続しているが、英会話など自分がやりたかったことも始めた。
「悲しいとか、ツラいとか言っている時間は本当にもったいないので、かなりポジティブにはなったかな」とほほ笑む海野さん。今、自分が生きていること、仕事をしていること、そして何より大切な家族と暮らす日々にこそ幸せを感じているという。
構成・文=歌代幸子
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。