知らずにいるより知ることができてよかった

自分自身の来歴の半分を、永遠に知ることのできない苦しさ――だがキムは、決してその事実を知らないでいるほうがよかったとは考えていない。彼女は私にはっきりと、「知らずにいたよりも、こうして事実を知ることのできたほうがはるかによかった」と語っている。

「AIDで生まれた事実をもっと私が小さいころにオープンに話していてくれれば、人生はもっと違ったものになったでしょうね」

キムは、公の場で発言するようになったが、その決断は容易なものではなかった。

「自分がAIDで生まれたことを公表するのは、そう簡単なことではありません、自分の親が不妊症であったことを公表するのと同じですから、父の友人や知人にもそのことが知られてしまいます」

アーティストとして生計を立てるキムの芸術面における才能は、母であるウェンディから来ているのだろうという。だが、キムは理系の学問にも秀でていた。

「私は科学ジャンルにもけていて、文理のバランスがとれていますが、両親の家系にはこういうタイプはいません。理系のセンスは、きっと精子提供者に由来するものなのでしょう」

横断歩道を行き交う人々
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見知らぬ他人に血のつながりを感じてしまう…

個々の人間としてのアイデンティティは、性格や人格が個性として形成され、遺伝的背景、「父」と「母」が誰かという認識を踏まえたうえでの、「自分という存在」が確立されることで形づくられていく。キムのように、いったんアイデンティティが形成されたのちに、自らがAIDで生まれたことを知らされ、「父」の存在がなくなってしまった人たちの多くは、確立していたはずの「自分という存在」、自分というアイデンティティを根底から揺るがされることになる。

そのような体験をした人たちは、見知らぬ他人の立ち居振る舞いや、ふとしたしぐさに、無意識のうちに自身とのつながりを探してしまう傾向にあるという。

通りを歩いていてすれ違う人々に対して、「あの人は私のきょうだいだろうか? もしかしたらドナーではないのか?」と勘ぐってしまう感覚に襲われるのだ。キムが証言する。

「道行く人たちのような不特定多数と生物学的につながっている可能性は低いとどれだけ説明されても、そのとても奇妙な感覚が、私の心を蝕んでいるのです。16歳のときに突然、出生の秘密を告知され、混乱した精神状態は20歳まで続きました。30歳を超えた今になっても、自分がいったい誰なのか、確かなりどころを確立できていないのです。『自分の中の半分が消えた感覚』と言えば、少しは理解してもらえるでしょうか」