※本稿は、KC・デイビス『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
「仕事量を平等にする」のは難しい
ケアタスクで最も難しいのは、パートナーとの間の不公平な分担作業への対処です。この当たり前の取り組みに対して、ここで正当な評価を下す時間はありません。でも、この問題に対処するための新しい方法をあなたに提供することはできます。
カップルの多くが、平等に振り分けをしようという考えから問題に取り組みます。そのときに使われる公式は、相手が給料をもらっている『仕事』を数値化し、そして私が給料をもらっている『仕事』を数値化し、その後ケアタスクを振り分け、2人の間で平等にするものであるべきです。
このアプローチは、こんな感じです。
問題点は、タスクに必要な労力を定量化することが、厳密には不可能だということです。どちらがより働くかの取り決めは、比べようがないという結論に行き着く場合が多いのです。消費した時間で推し量るのでしょうか? 肉体的にハードな仕事でも、短時間で終わる場合はどうですか?
精神的に、あるいは感情的に疲労する仕事と、そうでない仕事の場合はどうですか? いつ何時でも待機が必要な仕事の場合は? 出張が多い人は就労時間が長いからケアタスクを減らすべきなのか、それとも出張が多い人は共同で行うケアタスクが一切できないので、ひとりでできるケアタスクを増やすべきなのでしょうか?
「どちらがたくさん働いている」の言い争いは破綻している
最も大切なのは、「どちらがより働いているのか」というスタンスでの言い争いが発生するときには、すでに議論は破綻しているということです。枠組みが物事を平等に保っている場合、パートナーが「もっとやってほしい」と言ったときに、もう一方の人に聞こえるのは「まだじゅうぶんじゃない」という声です。感謝されていないという感情が加わってしまったら最後、議論は皿洗いの話ではなくなります。
パートナーは、恐れから行動しているのです。利用されていることの恐怖(私がどれだけ実際に働いているかなんて知らないのだから)、誰かを利用している恐怖(あるいは誰かを利用していると思われることの恐怖)です。ある人はあまりにも多くを引き受けてしまい、燃え尽き、憤慨し、一方でそのパートナーは相手を信頼することができず、自分で自分の面倒を見なければいけないと考え、相手のためには何もやらなくなるのです。